戦前回帰は見果てぬ夢

雑感

午前中も午後も会議。そのあと役場。
最近考えたことを書いておこう。

1868年から1945年9月3日まで。明治維新から太平洋戦争の終結までの間の77年間が明治に確立した大日本帝国の期間だった。江戸時代が265年間だったことと比べると大日本帝国の体制はかなり短い。今年が戦後78年だから大日本帝国の時代よりも戦後の時代の方が長くなった。明治憲法の体制という点で言えば、明治憲法が発布されたのは明治22年、1889年なのでわずか56年と5か月と4日しかない(大日本帝国憲法、明治憲法は、戦後1946年に帝国議会で憲法改正という形で審議された。日本国憲法が1946年11月3日公布、1947年5月3日施行ということなので、明治憲法の試行期間は1890年11月29日から1947年5月2日までということになる)。
日本国憲法の施行日以降の期間は76年を超えているので、日本国憲法下の時代の方が明治憲法下の時代よりも長くなっている。

どうして明治憲法下の時代が長く続かなかったのか。それは一言でいえば、外国に対して侵略戦争を大規模に展開した結果、戦争に敗北して社会体制を変革しなければならなかったということだろう。

日本の変革は、ポツダム宣言にその必要性が明記された。侵略戦争に至った日本の社会体制を民主的に変革するためには、侵略戦争を推進した勢力の除去、国民主権の実現と基本的人権の確立がどうしても必要だった。侵略戦争に明け暮れた日本の軍隊は、解散して家庭に帰り生産活動に従事すべきだという書き方だった。

この宣言を具体的に追求する中で軍隊の解散だけでなく、天皇の戦争責任の追及という課題が浮上してきたので、戦争の放棄、軍隊の放棄、天皇の象徴化という形になり、恒久平和という課題が浮上するに至った。

戦争は、憲法に対する攻撃でもある。ポツダム宣言は、日本が侵略戦争を遂行した勢力の解体を求めつつ、民主的な日本の建設(この中には日本の民主主義の復活が含まれていた)を求めていた。戦争に敗れたことによって新しい憲法体制が求められたのは、歴史の要請だった。

明治時代というのは、日本歴史の中で諸外国に対して侵略戦争を何度も行い続けた歴史として、突出している。しかし、それは日本の古き良き伝統でも何でもない。朝鮮半島や台湾を植民地にして、そこを足場に中国や東南アジアまで侵略戦争を展開した特異な歴史をもっている。それ故に短命に終わった社会体制だった。しかも天照大神を出発にし、伝説である神武天皇の即位によって天皇制が始まったという歴史のでっち上げに根拠をおく社会体制だった。この嘘偽りの社会体制、國体が崩壊したのは、日本国民にとってもアジア諸外国にとっても、喜ばしいことだった。

この戦前を美しい国だといい、この時代に戻せというのは、全く歴史の流れに合わない。わずか77年間しか続かなかった、民主主義のない、国民主権のない時代に戻せというのは、悪夢のような動きだと思う。

侵略戦争の反省の上に、恒久平和と国民主権、基本的人権を柱にした今の日本がある。戦前に戻したい勢力は、どうしても過去の戦争を「やむにやまれぬ戦争だった。日本はアジアの解放のために、アジアの独立のために防衛戦争を行った」というように歴史を描く必要がある。

ポツダム宣言と日本国憲法成立に至る歴史を子どもたちに伝え、その視点で第二次世界大戦がなんであったのかを率直に学ぶことが、日本の未来につながる。ポツダム宣言と日本国憲法にもとづく戦前の歴史の学びが求められている。この二つの視点こそが、戦後の原点なので、この原点に立った歴史の学びが必要ではないだろうか。

歴史を相対化して、日本は侵略戦争を行ったという意見と防衛戦争を行ったという2つの説があったかのようにいい、両論併記や争点のある問題だから一方的な立場から教えるべきではないというのは、大きな間違い。歴史を改ざんしたい人々が、確定した歴史に対して、あたかも決着がついていないかのようにいい、歴史を相対化しつつ、右から圧力をかけて、公式には侵略戦争だとは言えないかのような世論を醸成するところに目的がある。
この壮大な嘘を現実であるかのように見せるためには、事実を隠蔽したり改ざんしたりすることが必要になる。当時の政府や軍が、証拠資料を大量に廃棄させて戦後を迎えたことが、歴史の改ざんをやりやすくしている。
この目的の先に大日本帝国の復活がある。それは醜い見果てぬ夢ではないだろうか。


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雑感

Posted by 東芝 弘明