M先生のこと

思い出

出初め式が朝9時から行われ、午後2時からは成人式があった。

出初め式の今日、朝7時30分に高野口で火事があった。火事があったのはM先生のお宅でM先生が亡くなられた。ほんの1週間前にぼくたちがおこなった同窓会に出席していただいたのに。同窓会の席上、90歳までは生きたいと語っておられたのに。
火事で亡くなられたことを確認して、だんだん悲しみが大きくなってきた。

ぼくにとって、M先生の存在はものすごく大きい。自分の人生の中で一番ぼくに影響を与えてくれた人だった。M先生は、学問とは何かをいつも誠実に情熱をもって子どもたちに伝えていた。5年生と6年生の2年間という短い期間だったけれど、M先生は、ぼくに学ぶとは何かを教えてくれた。先生は、授業を通じて、算数の公式は暗記するのではなく長い時間をかけて発見した物であることを教えてくれた。自分の目で見て感じて、それを生き生きと表現することの面白さを教えてくれた。先生の授業は、ぼくたち子どもたちとのコラボレーションだった。授業の中には、一緒に考えて一緒に新しい認識に到達していくような実感があった。
18歳の頃からマルクスやエンゲルスの本を読み、学問のとは何かをとらえ直し、「すべてを疑え」(すべての物事は疑いうる──再検証すべき)というマルクスの標語を知ったときに、頭によみがえってきたのはM先生の授業だった。情熱をもって子どもたちを教えていた先生の姿は、ぼくの瞼に焼き付いている。

M先生は、戦争に反対をした日本共産党に対して、戦争に反対しただけで弾圧を受けたことを憤っていた。
「共産党は戦争に反対しただけやないか。そのどこが悪いんや。戦争に反対しただけやで」
ぼくを前に置いて、M先生は繰り返しそう語っていた。

ぼくが日本共産党の仕事に就いたときに、M先生は、
「日本共産党に入るとこまでは教えんかったけどな」と言って大きな声で笑った。子どもの時には、ぼくはまだ小さかったので先生と日本共産党について話をしたことなどは全くなかった。ぼくの母とも日本共産党について話したことはなかった。
でも、道はつながっていた。母もM先生も日本共産党を支持していた。ぼくが、この道を歩き始めたとき、先生は手放しで喜んでくれた。
30歳の時の7月、町議会議員に初めて立候補したときには、M先生はぼくの選挙の応援に来てくれて自分の知り合いに支持を頼んで歩いてくれた。
伊都橋本の広域のごみ問題の時には、手紙のやり取りをしたことがあった。
ぼくと先生は、生きてきた道が重なっていると感じてきた。このことは本当に幸せなことだった。

出初め式と成人式では、「おめでとうございます」という言葉を重ねて語っていたけれど、心の中にはショックが広がっていた。
晴れているのに空気は冷たく風も冷たかった。空の青さにも力がないように見えた。


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思い出

Posted by 東芝 弘明