死者は生者のなかに生きる

思い出

今日は、お葬式のお手伝い。
空気は冷たいが、日差しは暖かかった。
お別れのときに花を手向けさせていただいた。葬儀のあと斎場まで車に乗せてもらって行かせていただいた。
本日は、斎場でのお葬式がなかった。駐車場には、マイクロバス1台が横付けされているだけだった。

「ご苦労さまです」
セレモニーホールの男性社員が玄関に立っていて、会場内に入ろうとするぼくたちをうながしてくれた。
ホール内には、女性のお坊さんの読経の声が流れていた。
葬儀から出棺、火葬へときれいに流れていく。棺が火葬場の中に納められ、最後のお別れのときに胸にこみ上げてくるものがあった。
「人間、これでおしまいやな」
いっしょに斎場に行った班のお2人は、歩きながらこんな言葉を交わしていた。2人の年齢は70歳に近いと思われる。

斎場の空気は澄んでいた。
17歳の2月14日がぼくの母の命日だ。葬儀の翌日、朝早くお骨を拾いに行ったときのことを鮮明に思い出した。氷点下マイナス10度という記録的な空気の中で、遺骨を箸で拾い上げたときのシーンが浮かんできた。

「のど仏から拾うんや」
しかし、のど仏の骨を探すことはできなかった。骨がほとんど消えてしまって形があまりわからなかった。ガンに侵されたのどは黒い固まりになっていた。骨を拾い上げると箸の先からぽろぽろこぼれてしまう。
母の骨は、放射線治療の中でもろくなっていたらしい。
母の葬儀のときに、葬儀のことを悲しみを和らげてくれる大切なセレモニーだと感じた。多くの他人に対する気配りをおこなうことが、親族の死のショックを和らげてくれる。
落ち着いて、しばらくするとようやく死んだことに対するショックがやってくるけれど、それは、死の直後の直接的な衝撃よりも緩やかだ。

ぼくは、高校時代、まわりのさまざまな出来事が欺瞞に満ちていると感じて、多くのことに反発しニヒルになっていた。こういう自分を少し変化させてくれたのは、母の葬儀だった。
これが、しきたりや儀式に意味を感じた最初だったのかも知れない。
長い箸で向かい合わせの人が呼吸を合わせてお骨をいたわるように骨壺に入れる。
あのとき、少なかったけれど母の骨をみんなで少しずつ確かに骨壺に納めたはずだった。

10年たって、母と父の墓を高野山に移したとき、10年ぶりに母の遺骨と対面した。
高野山の従兄が骨壺のふたを取った。
「あれ? なんてよ」
わずかな水分と少しだけ粉のようなものが出てきた。骨は一つも骨壺の中に入っていなかった。
その人の人生は、最近では火葬をもって終わる。しかし、死んだ人は、長い間身内のなかに生きる。自分の人生が親の歩みに重なっていくのにしたがって、親の後ろ姿が見えてくる。
親の心を子どもはあまり知らない。しかし、親と同じように家庭をもち子どもと関わっていくと、親の歩みが自分の人生に重なっていく。
死者は生者のなかに生きる。


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思い出

Posted by 東芝 弘明