一つの絵

雑感,思い出

宮下奈都さんのエッセイ集『はじめからその話をすればよかった』を読んでいる。宮下さんは、エッセイで赤裸々に自分のことを書いている。普通、一般人は、自分の思いや過去の出来事を赤裸々に語ることはしないで、いろいろな思いを胸の中に折りたたんで生きている。
でも、エッセイに自分のことをさらけだす作家は幸せではないかと思う。過去の出来事をきちんと考え直して、文章に残すことの意味は大きい。自分の考えが深まっていく。触れたくないキズにも向き合う。淡い思い出や若い頃の思いにも心の端を伸ばして触れてみる。文章にすることによって新たに見えてくることもある。

波瀾万丈の人生を送った人がいても、自分の人生を立体的に文章で表現できるかというと、なかなかそういうことにはならない。第三者に分かるように伝えるのは難しい。文章で書くためには、筆力が問われる。書きたくても書けない人の方が多い。エッセイで他人の人生を見せてもらって共感する。共感したことによって自分の人生にも光が当たる。このような効果は、思っている以上に大きいのかも知れない。
書く力を持った人が、エッセイを本にして世の中に出せば、無数の人々に伝わって行く。もちろん、公開することを十分意識しながら書いているので、書けない事実を秘めることにもなる。書いていない事実が、いくつかのフィルターを通じて、小説化されて世の中に出てくることもあるだろう。
宮下さんのエッセイを読んでいたら、昔の思い出に関わるものについて書いてみたくなった。
書くことには、固く結ばれている紐を緩める面白さがある。

紀ノ川祭には何度も行った。独身時代も結婚してからも。初めて行ったときは中学生だったと思われる。
橋本市からまっすぐ続く道を下り国道に当たると、右に折れて国道を西に歩く。しばらく歩くと橋本橋がある。この橋を渡って左に歩くと河川敷に降りる道がある。広い河川敷にはテキヤの屋台が両脇に並び、陸上競技のトラックを描くように屋台と屋台に挟まれた道が造られる。この屋台が切れた先、一番奥のところに舞台と見世物小屋があった。見世物小屋。この名前には、昭和の初めの頃の匂いがする。どこか横溝正史小説世界に似た雰囲気があった。
紀ノ川祭の中心は花火だった。地域の商店や会社に勢いがあった時代だ。花火を上げる前に花火群に対するネーミングと協賛したお店や会社の名前が読み上げられた。河原の石の上に座って、綺麗に上がる花火を見上げ歓声を上げ、屋台で買ったタコ焼きを食べる。

高校2年のときだったろうか。紀ノ川祭の日、従兄弟と笠田駅から橋本駅まで電車で行った。気温の高いよく晴れた日だった。
まだ夕方にもなっていない時刻に笠田駅の向かい側のホームに従兄弟と2人で立っていると、同級生の女の子3人が、線路を渡ってホームの階段を登って来た。
3人の中に彼女がいた。
3人は紀ノ川祭に行くということだった。ほんのちょっと言葉を交わすのが精一杯だった。
彼女は、赤いGパン(デニムっていつから呼ぶようになったんだろう)のホットパンツをはいていた。切り落とされたパンツのすそがてほつれていた。そこから白い脚が伸びていた。足の先には赤いサンダルがあった。
白い足が眩しかった。ドキドキした。ぼくは彼女をまともに見られなかった。
笠田駅の小さなプラットホームで、数メートル離れてほんの2、3分一緒に立っているだけでぼくは幸せだった。

そこから先の記憶がない。もちろん、同じディーゼル列車に乗り込んでも、1㎜も1㎝も何も起こらなかったし、祭をいっしょに楽しむこともなかった。駅で偶然一緒になった記憶だけが残っている。まるで一つの絵のように。まるで一つの短い映像のように。


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雑感,思い出

Posted by 東芝 弘明