戦前の70年と戦後の70年

雑感

昨日、「安倍改憲No!かつらぎ町民アクション」の設立集会が行われた。
発言の中で憲法9条についての思いが語られた。

戦争をしなかった72年間というのは、極めて貴重な歴史だった。1945年から70年を差し引くと1875年になる。1875年は明治8年だが、この年日本政府は朝鮮との間で江華島事件を起こしている。朝鮮の江華島における日本と朝鮮國の軍事衝突事件は、日朝修好条規の締結の端緒となる事件だった。この条約は朝鮮側に不利になる不平等条約だったから、日本は、江華島事件を皮切りに外国に対して戦争を繰り返し起こした歴史をもったということだ。明治維新から8年、日本は帝国主義の列強からの圧力を受けながら、自ら帝国主義の一員になるために戦争への道を走り続けたといっていいだろいう。
明治8年からの70年間を超える時間が戦後経った。戦争を放棄し、国民主権を実現し、基本的人権をうたった国は、戦争に明け暮れた歴史に終止符を打って、平和の中に生き、戦後73年を迎えようとしている。戦争に明け暮れた戦前の70年間と戦後の70年間の対比を考えるのは意義深いことではないだろうか。
戦争から平和への劇的な転換の基礎に日本国憲法があったのは間違いないと思われる。憲法9条を守りたいという願いには、戦前と戦後を生き抜いた日本人のさまざまな思いが込められている。

かつらぎ町民アクションの設立集会での発言の中には、「私は戦災孤児でした」というものもあった。憲法9条を現行のまま守ろうとする人々の平和に対する願いや声を集めれば、多彩な戦後史が描かれると思われる。市井に生きる人々の肉声によって語られる戦後は、憲法9条とともにあったといっていい。
いま、再び日本を戦前のような国にしようという流れが強まっている。中野晃一さんは、安倍政権は教育勅語にもとづく国をつろうとしていると指摘した。一旦、ことが起これば、お国のために国民は命を捧げるという「美しい国」は、国民主権が著しく制限される国にならざるをえない。国民主権は、暴走する権力者の手を縛る憲法を必要とする。憲法9条を守り、政府の行為によって戦争をしない国であり続けることは、国民主権を守ることと深く結びついている。権力者が国民主権を踏みにじろうとするとき、戦争は国民の生活の中に奥深く静かに忍び寄る。


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雑感

Posted by 東芝 弘明