Facebookへの向き合い方

雑感

8月21日にFacebookとTwitterについて、短い講演を依頼された。とは言っても相手は共産党の議員の方々だ。極端なパソコンオタク(本当はMacオタク)であり、最近Blogと一緒にFacebookをし始めているので、解説して欲しいという依頼が来た。
困っているのは、Twitterの方だ。Twitterは使っては入るけれど、もう一つこれがどのような力をもつのか、よく分かっていない。tweetしたらものすごい反応があり、情報が広がると言うことだが、ぼくにはそういう経験がないので実感が湧かない。
ほとんどフォローもしていない。ひっきりなしにスマホが鳴って、ひっきりなしに見るのがうっとうしくもある。

細かくつぶやいて、それをBlogに転載されている方もいる。でもなんだか匿名のまま、膨大なやり取りをすることに嫌悪感がある。どこの誰だか分からない人と盛んに交流するということ、短い140文字というつぶやきで、どうつながっているのか、イメージがよく湧かない。

Facebookの方は楽しんでいる。本名で、しかも顔入りでつながっていく安心感がある。「いいね」ボタンしかないので、基本的にはほんの少し「いいね」と思えばボタンを押し、触発されたらコメントを書き込んで交流を行うという形だ。基本的に安心感がある。
高校の時の同級生を発見したり、日本共産党の全国の議員とつながったり、見ず知らずの人と思わず親しくなったり。Facebookは、バーチャルな世界でのなりすましのような人間関係でつながるのではなくて、本音の部分でつながっていく感じがして、安心感がある。
いい格好をする必要はない。失敗も書けばいい。楽しかったことも、悔しかったことも、苦しいことも。

日本では、Facebookのような、本名と素顔を明らかにするものは、そんなに流行らないのではと思っていた。でも、真面目に楽しくつながりたいと感じている人が増えているんだなあと思う。
もちろん、人それぞれなので、Facebookでも見栄を張っていい顔をしている方もいるだろう。背伸びをして、無理をしてしんどくなっている人もいるだろう。そういう形で自分を一生懸命よく見せていると、どこかで破綻すると思う。
隣近所、ママ友、友人、知人の中で見栄を張って、背伸びをしていることは、多いのかも知れない。でも、それをFacebookにまで持ち込んできたら、それこそ息が抜けなくなってしまう。

最近買った阿川佐和子さんの『聞く力─心を開く35のヒント』を読んだ。この人は、全く肩肘張って生きていない。自然体で生きている。この新書では、失敗した対談の話がたくさん書いてある。相手の実名まで明らかにして。スポーツ観戦歴ゼロの阿川さんは、松井秀喜さん相手に、「エースってバッターですか?」と尋ねたことがある。それでも、優しい松井さんは「エースとはピッチャーのことをいうんですよ」と言って対談を続けてくれたと書いている。
分厚い小説が読めなくて、飛ばし飛ばしに読んで相手と対談した話も披露している。手を抜いて生きているのではない。この人の飾らない自然体がいい。土曜日の「サワコの朝」という30分の対談番組がある。毎回録画して見ている。この人の優しい感じが対談には溢れている。
ゲストが佐和子さんに心を開いて、素敵な話を披露する。たった30分なのに深い話が広がっていく。
味わいがある。一生懸命ひたすら聞いている中で、佐和子さんの一言が、ゲストの話をしなやかに無理なく深いところへいざなっていく。
佐和子さんのような生き方ができればいいなあと思う。

一生懸命努力をしながらも、自然体を忘れず、いっぱい失敗もして、それでいて失敗からも学んでしなやかに伸びていく。阿川佐和子さんの魅力はこういうところにある。あの人の笑顔を見るのが好きで、「サワコの朝」を見ているのかも知れない。

Facebookを行うときも、阿川佐和子さんのように自然体でできればいいなと思う。そうすれば、Facebookは楽しい友だちを運んできてくれる。沖縄からも、北海道からも。
新しい出会いが、素敵でありますように。


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雑感

Posted by 東芝 弘明