まわりの人のために働き、自分の人生を豊かにする

毎週、共産党内のニュースを書き始め、そこにかなりエネルギーを割くようになってきた。毎週タイトな日程で、タイムリミットとたたかいながらニュースを書き上げている。ニュースの記事になる話をメモのように書いて、それをランダムに並べ、記事に仕上げていく。こういう形にすれば、いろいろな形の記事ができあがる。さらに取材の幅を広げていろいろな記事を紹介していきたい。
日本共産党は、毎日、どこかで必ずさまざまな動きを作り出している。この動きを拾い上げてみんなに伝えることによって、共感が広がればいいと思っている。書き手を増やすことも考えたい。世の中を変える仕事には、ユーモアがあると思っている。社会をよくすることには、本質的に喜びがある。自分の掲げた政策や提案が実際に実現して、社会の制度になっていくことは嬉しい。この喜びは、保守系議員であろうと共産党の議員であろうと同じだと思われる。
この7月で議員になって満30年が経った。30年間で生み出してきた実績は多い。自分でも忘れているものもあるだろう。かつらぎ町の当たり前の施策になって、住民生活の中に溶け込んでいるものもある。
そうそう、議員に成り立ての頃、ごみ袋の改善を提案したことがある。自分の提案が実りはじめたころのことだ。
「スーパーの袋と同じように持つところとくくるところがあれば、ごみ袋をくくって出しやすくなる」
この提案は実現して、かつらぎ町のごみ袋は現在に至っている。この形をやめて普通の四角い持ち手のないごみ袋に戻したら、住民はかなりクレームを出すだろうと思われる。
ごみ収集の曜日を固定してほしい、山間部にも週2回週収集してほしい、かつらぎ町の分別の仕組みを広域に広げてほしい、溶融炉を止めてストーカー炉に転換してほしい。こういう提案を行って実現してきた。もちろんこの中には、住民運動と結びついていたものもあれば、議員としての提案が実ったものもある。いつのときも、日本共産党の組織が、根底で自分たちの活動を支えてくれていた。
「学校給食の実施を」
これが30年前に掲げた政策だった。この日本社会で当たり前になっている施策を実現するのに24年ほどかかった。実現してから「東芝さん、それは遅すぎますよ」と言われ、「そうですね」と笑ったこともあった。
日本共産党は、自由と民主主義の発展の先に新しい未来があると考えている。ぼくの30年間の地方議員としての活動は、日本共産党の活動とともにあり、日本共産党が提唱してきたときどきの理論とともにあった。自分たちの足場で要求し提案して実現してきたことは、日本国憲法の規定の具体化だったし、日本における小さな民主主義の積み重ねでもあった。このような小さな努力も含めて、これらの努力の先に未来があると思っている。
日本共産党は、国民の現実の苦難を軽減するためにつくられた政党だ。この立党の精神を心の底に深く刻んで、他人の人々のために努力することによって、自分自身を豊かにする。そういう気持ちで30年間活動してきた。一番嬉しかったことは、願いが実現したときだった。
人生を豊かにしながら生きたい。笑っていたい。努力するときも楽しんでいたい。切羽詰まって時間に追われてギリギリのところでがんばっているときも、それを楽しんでいたい。そういう気持ちがある。
日本共産党員も人それぞれ。いろいろな初心というものを持っている。胸の中に強く戦争反対の思いをもち、それを原点にしている人もあれば、貧しい暮らしの中から努力してきて、少しでもよりよい社会をつくりたいと思ってきた人もいる。子どもたちによりよい教育を。そう思ってきた人もいる。
ぼくの思いの中には、母や父が体験した戦争がある。原爆関係の小説をぼくに示した母への思いがある。闘病生活に入る前に日本共産党に入党した母につながる思いがある。
まわりの人々のために働き、自分の人生を豊かにする。これからもそうありたいと思っている。









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