朝から綱領改定案を読んだ

雑感

朝早く起きて新聞を配ってから、党綱領の改定案を読んで和歌山に行った。いい天気だった。今回の党綱領改定案はかなり刺激的だった。日本共産党の綱領は、高度に発達した資本主義国における社会主義への変革こそが社会主義的な改革の大道だということを明らかにして、綱領から社会主義を目指している国々が、世界の進歩を担っているという規定を外した。既存の社会主義を名乗る国々は、一党独裁の社会体制をもち、政治的な自由に制限をかけている国として存在している。こういう傾向は、革命戦争という経過をへて社会主義にを建設しようとした歴史的な制約だが、こういう歴史的な制約が、根深い人権問題として現れてくる。中国の香港に対する対応、ウイグル自治区での人権侵害は、許しがたいものになっている。

これらの国々の経済的な制約も大きい。現存する社会主義をめざしている国々が、社会主義を建設するのがいかに困難かは歴史的に証明されているとした。もちろん、資本主義の発展の遅れた国々が社会主義をめざして新しい国家建設に足を踏み入れる可能性はあるし、そういう国が自由と民主主義を保障し、個人の尊厳を土台にして前に進む可能性もあるとは思う。しかし、現存する社会主義を名乗っている国々が、社会主義的な体制として優位性を発揮するという位置づけはしなくなったということだろう。

もちろん、これらの国々が人権を抑圧するような社会体制から脱して、自由と民主主義を土台とした国に発展する可能性はある。しかし、現時点では、そういう未来を体制上の優位性をもって描くことはできないということだろう。

高度に発達した資本主義国は、生産力においても、資本主義の下で発展してきた規制・管理という面でも、国民の生活と権利を守るルール、自由と民主主義の諸制度と国民のたたかいの歴史的経験という点でも、人間の豊かな個性などの成果を継承し発展させるという面でも、社会主義に引き継ぐべき豊かなものをもっている。この発展方向にこそ、社会主義的な展望がある。

社会主義とは、高度に発達した生産力を、生産手段の社会化を土台に、市民的政治的自由を何よりも大切にする社会となってはじめて実現できる。このもとで一人一人の人間の尊厳が保障され、個人の発展が社会の発展につながるような社会として進歩していく。

労働時間が短縮され、自由な時間が拡大した下で、一人一人の人間の夢や希望が実現できるようになり、自分たちの生活をエンジョイでき、経済的な困窮とはさよならでき、あくせく生きる必要はなくなり、しかも今以上に豊かな生活と自由な時間を手に入れることができるようになる。こういうもとで充実した生き方ができれば、本当に幸せだと思う。

こういう未来は、私たちの今のたたかいによって切り開かれる。そう、日本に今必要なのは8時間労働制の確立と正社員になれる社会への転換、大学までの教育費の無料化、農林水産業の復活、地域社会の再生とコミュニティの充実、子育てと老後の心配のない社会保障などだ。こういうことが実現すれば、日本にも希望が生まれてくる。しかも、こういう変革は現実問題として実現できる。

そのためにはアメリカ中心の政治と経済、大企業中心の政治と経済からの転換が必要になる。現状のような仕組みが続いていけば、日本経済も社会も衰退する危機にさえ直面している。矛盾を解決してよりよい社会に転換できるのか、それとも衰退傾向の中で日本そのものが壊れていくのか。今はそういう岐路にある。


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雑感

Posted by 東芝 弘明