戦後の原点と戦争放棄

雑感

「しんぶん赤旗日刊紙」にようやく幣原喜重郎首相(当時)が、マッカーサーに憲法9条を提案したという記事が掲載された。
「9条は幣原提案」 新史料 マッカーサー書簡に明記 堀尾・東大名誉教授が発見

幣原は、天皇制擁護の人でもあったから、象徴天皇制にするだけでは、天皇制を維持できないと考え、軍隊を解散するだけではなく、将来に置いても軍隊を持たない、戦争をしないということを約束しないと天皇の命を守れないと考えたという指摘もある。今回の「赤旗」の記事にある堀尾輝久東大名誉教授の言葉、
「日本にはもともと中江兆民、田中正造、内村鑑三らの平和思想があり、戦争中は治安維持法で抑圧されていましたが、終戦で表に出てきて、国民も『戦争はもう嫌だ』と平和への願いを強めていました。国際的にもパリ不戦条約をはじめ戦争を違法なものとする運動が広がっており、外交官でもあった幣原もその流れを十分認識していました。さらに、原爆と戦争の惨禍を体験して、侵略への反省、反戦と平和への希求の大きなうねりが先駆的な憲法前文と9条に結実していったと考えます」
という認識も強くもっていたということだろう。

ぼくは、幣原喜重郎首相が戦争放棄をマッカーサーに進言したことについて、今年の2月28日のブログ、象徴天皇制と戦争放棄に書いた。
この中でぼくの感想として、「戦後の原点は、戦争放棄にあり、しかもこの選択は保守的な政治家も含めた選択だったというところに歴史のダイナミズムを感じる。
今、安倍政権が天皇元首化と戦争できる国に向けて暴走しているが、この道は、戦後政治の原点の否定と挑戦になっている。戦前に戻すことは、保守政治の主流も望んでいなかった。これは、日本共産党も自民党の多くの人々も、戦後の原点を共有して日本国憲法を守るという立場に立てるということを示している。」
と書いた。

歴史は、必然的に旧社会の母斑を引き継いで発展する。幣原にとっては、象徴天皇制は、明治以前の天皇制への回帰だった。天皇制の歴史と伝統に忠実のという点でいえば、明治以前のように政治的責任を負わないという仕組みに戻すという方が、大日本帝国憲法のような元首に戻すよりも、伝統に叶っていると言っていいのではないだろうか。
象徴天皇制と憲法9条はセットで日本側から提案された。しかも自民党の流れをくむ保守政治家から提案されたということを、歴史的事実として踏まえる必要がある。

安倍政権は、戦後の原点を全く理解していないで、戦前の社会体制に戻そうとしている。これは、侵略戦争を展開して、アジア諸国民の2000万人の命を奪い、日本国民310万人の命を奪った国家の選択として許されない。憲法9条は、アジア諸国に対する国際的な約束でもあった。2度と再び侵略戦争を行わないという約束は、戦後の原点として責任を持って守る必要がある。

「お国のために命を捧げることを否定するのは許せない」という意見も根強い。しかし、この言葉を考えるためには、国家というのは何かを考える必要がある。今の国会を見ると分かるように、国家権力というのは、権力に影響を与えている利害の集合体だ。現政権が、公平に日本国民の利益のために政治を行っているだろうか。国民のために政治を行っておらず、国民主権は十分に実現していないのは明らかではないだろうか。
では戦前の国家は、国民(当時は臣民)の利益のために政治を行っていただろうか。国民主権が実現していない時代の国家は、国民は支配の対象であって、国民のための政治を行う機関ではなかったのではないか。明治以降の国家体制は、急速に台頭した資本主義を推進する財閥の利害と半封建的地主制度の利害、その頂点に立っていた天皇制という政治体制の利害によって成り立っていた。この国家が、国民に対し戦争を押しつけ、推進したところに戦争の本質があったのではないだろうか。

「お国のため」というと、郷土や自分の親族を含んでいるように見える。このあいまいな言葉をさらにねじ曲げて、「男は愛する者を守るために戦場に行った」かのように描くケースもある。しかし、本当の姿は、国家権力による戦争への召集命令に国民は従わされたのであって、日本という共同体の存続のために戦争が行われたのではない。国家の誤った政治の延長である戦争に国民を従わせたのは、当時の天皇制国家の明白な誤りだった。国策を誤り侵略戦争を遂行したという国家の責任を明らかにして、戦争に国民を巻き込んだ責任を国家は負わなければならない。この観点に立てば、召集令状によって戦場にかり出した兵士に対しても、空襲によって命を落とした人々に対しても、国家は責任を負って賠償しなければならない。もちろん、日本共産党や宗教家を治安維持法違反で弾圧し、時には拷問によって虐殺した人々にも責任を負わなければならない。戦争反対を唱えて、国民主権の実現を求めた人々は、戦争を遂行した国家に対して、正義を貫いた人々として、名誉を回復し顕彰する必要がある。元日本兵士と戦死者に対する顕彰は、国家による深い謝罪と反省の上に立って行われるべきものだろう。日本国民に対して国家の誤りを一切謝罪せず、外国に対して謝罪をするというのにも問題がある。諸外国に謝罪するとともに、日本国民にも謝罪をするというのが、国家の果たすべき責任だろう。

戦争で亡くなった全ての人々に対し、国家は「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意」(日本国憲法前文)しなければならない。現在の日本政府は、明治以降の近代国家だった日本の戦争に対する責任を引き受けて、国民をごまかしてはならない。「お国のため」という言葉には、国家によるごまかしがある。ごまかしは、歴史の偽造につながる。

雑感

Posted by 東芝 弘明