天野小学校を廃校する議案、多数の賛成で可決
天野小学校の廃校を含む議案は、12時過ぎから質疑がおこなわれました。昼食の休憩に入らないまま、4時まで休憩なしに質疑をおこない、討論をおこなったことは、23年議員をしてきた中で、はじめてのこととなりました。
かつらぎ町教育委員会は、一貫して学校の統廃合は、「地元同意に基づいておこなう」と説明して来ました。この説明は、今年の10月31日まで変わりありませんでした。
10月31日は、天野地域で学校の統廃合についての懇談会がおこなわれた日です。この時の話し合いは平行線をたどりました。この席上で天野地域の司会者は、最後に引き続き懇談会を開いてくださいといい、教育総務課長は、懇談会を開きましょうという態度を取りました。その場にいた町長、副町長、教育長、教育委員長は、この発言に異論をはさみませんでした。井本町長は、この懇談会の席上で12月議会に議案を出すとは一言も言いませんでした。教育総務課長が、懇談に合意する言葉を述べたのは、教育委員会が「あくまでも地元同意のために努力する」という方針だったからです。
この方針を反故にして、教育委員会が天野小学校の廃校を決定し、議会に議案を提出することを決めたのは、11月26日です。11月27日が議会運営委員会でした。11月26日まで教育委員会は開催されていないので、天野自治区との懇談会の報告がおこなわれたとすれば、それは11月26日だということです。普通、引き続き懇談会を開催したいということが報告されたのならば、廃校を決定するという態度を取ることには矛盾を感じると思います。しかし、そういうことにはならずに廃校を決定しているので、誰が統廃合についての方針を変更したのかという疑問が残ります。
議会運営委員会とは、議会に提出する議案を協議する会議です。この会議の前日、午後5時前に天野小学校の廃止を教育委員会が判断しています。議案の作成や調整という作業があるので、前日の午後5時に提出議案を決定するなどというのは、通常の場合ありません。今回は、事前に資料を準備しておいて、教育委員会が終わると電話連絡して、文書を作成してもらうというやり方をとっています。教育委員会は意思決定の機関として扱われていないようにみえます。まるで事後承認機関です。この決定の仕方には、教育委員会の自主性がありません。
なぜこのような経過をたどったのでしょうか。
方針の変更を迫ったのは、井本町長です。事態が変化したのは11月に入ってからでした。
12月5日に議会が開会され、天野小学校の廃校について井本町長は次のようなあいさつをおこないました。
「天野小学校については、平成19年5月以来、5年間協議を進めてまいりましたが、地域のご賛同を得るまでには至っていない状況でございます。特に本年1月、統合を延長してとりくんで来たところでございます。
しかし、平成19年以来取り組んできた経過の中で、8校を統合する計画を変更することは、これまで廃止をしてきた4校の地域、あるいは今後廃止をしようとしている他の地域の理解を得られない状況であること。
また、全体を一つの計画として、学校適正配置計画に基づき、統合校を整備し、統合後の送迎手段の整備、中学校の耐震対策、学校給食の実施など、事業全体を執行してきた中で、天野小学校を統合しないとする特別な事情があるとは言えないと考えております」
この説明は、「地元同意にもとづく学校統廃合」という方針を完全に否定するものでした。この説明によると25年4月というタイムリミットがあったことになります。また、昨年1年間学校を存続させたのは、統合を延長しただけだということになります。タイムリミットも、1年間延長しただけという話も、12月5日まで明らかになりませんでした。
町の全体計画に従ってもらうという態度は、和歌山県の教育界の考え方とは全く相いれないもので、行政による一方的な押しつけです。行政マン的な考え方に彩られたこの考え方は、文部省通知の存在を知らないなかで出されたものでした。井本町長は、質疑の中で、「昭和48年の文部省通知については承知していない」と答弁しました。
井本町長は、教育委員会が採用してきた方針の根拠も知らないまま、タイムリミットが来たので全体計画に従ってもらうべきだという態度をとったということであり、教育委員会はこの「町長の意向」に従ったのだということです。
全体計画に従うべきだという話は、天野地域で語られたことはありません。「あくまでも地元同意で」とだけ話してきたのです。12月5日に明らかにされたこの「廃止理由」は、12月になって突然出されたもので、後出しジャンケンのような議論です。
教育委員会の今日の答弁は、この町長の挨拶に歩調を合わせるものでした。その結果、答弁は矛盾をはらまざるを得ませんでした。今までの方針とは相いれないので、誤魔化すためには、どうしてもウソが入ってきます。
かつらぎ町教育委員会は、子どもの教育に責任を負っている機関です。この機関が、大人の世界になると、ごまかしの答弁をおこない、自分たちが採用してきた方針についてさえまともに答えられないで、ときには偽りの答弁をおこなうということです。
今回の地元同意なしの天野小学校の廃止という態度は、和歌山県内の教育委員会には全く事例がない、和歌山県内の教育界の方針とは違うではないか、という問いに対して、教育長は、和歌山県内の高校の統廃合は、2校間のものだったが、今回は全体計画の中での話なので、事情が違うと述べました。この答弁は驚きでした。このような答弁は、議会の中でも、天野地域住民に対しても、全く語られてこなかった考え方にもとづくものでした。ここには、悲しい教育委員会の姿があります。
ぼくのおこなった質疑で、教育長が全く答えなかったものがあります。それは、昭和48年の文部省通知が、小規模校について学校を残すという考え方を示していることについての認識です。もう一つは、地元同意にもとづく統廃合という方針であれば、平成25年4月以降も統廃合協議が続くのではないかということに対する認識です。さらにもう一つは、紛争を引き起こしてはならないという文部省通知について、紛争を引き起こしたのは教育委員会ではないかという問いです。
これらは、問いただしても言及できませんでしたから、答えられない質疑だったということでしょう。
結局、4時間の質疑の末、天野小学校の廃校が決定しました。ぼくたちは、天野小学校との協議を続けるべきだという観点から天野小学校の存続を求める修正動議を提出しました。引き続く協議は、昭和48年の文部科学省通知にもとづいておこなわれるべきであり、地元が学校の存続を求める場合は、学校は残るということも主張しました。この修正案は、3人の議員の賛成、8人の反対で否決されました(1人退席=棄権)。この修正動議に対する質疑はありませんでした。原案は、4人の反対、8人の賛成で可決されました。
不思議なことに、今回、保守系議員の方は、原案に対する賛成討論を3本、修正案に対する反対討論を2本もおこないました。事前に原案への反対討論が3本出ると分かっていたので、一生懸命討論を組織したようです。天野地域の方々の傍聴がある中でがんばる姿は、かなり異様でした(異様と感じたのはぼくの感覚ですが)。
議員の方々は、町の全体の計画に逆らうことが、どうも許せないようです。天野は勝手だということであり、勝手な行為は許さないという感じでしょうか。この感覚は、井本町長の挨拶と合致していると思います。
自民党の憲法草案は、「公益及び公の秩序」のために基本的人権を制限するという考え方を貫いていますが、結局、全体計画に従ってもらう。もうこの選択肢しかないという考え方は、自民党の憲法草案に重なるもので、住民の意見よりもかつらぎ町の計画が優先するというものです。
ぼくは、原案に対する反対討論を次のように締めくくりました。
「かつらぎ町は、今日までほとんど地域住民の意見を聞いてこなかった自治体です。議員の中には、「地域住民の意見など聞くな、つけあがるだけだ」という意見さえあります。これは恥ずべき暴論です。
過去をふり返ると、行政が打ちだした方針に対し、本町でもさまざまな反対運動が起こってきました。しかし、ほとんどの場合、議会の多数派を味方につけて町の方針を強行してきた歴史があります。
このような行政のあり方を根本的に変えなければ、住民の信頼は得られません。行政内の極めて狭い考えで行政運営を行うのではなく、住民の知恵と力を行政に結集しながら、まちづくり、地域おこしを行わなければ、かつらぎ町の発展はありません。
ワンマン的な町長はいりません。勇ましいヒーローもいりません。住民の知恵と力を結集し変化を生み出すためには、オーケストラの指揮者のような力こそが必要です。
天野地域の取り組みを含め、かつらぎ町の各地域の取り組みには、地域おこしに発展する大きな力があります。このことを懐深く評価して支援する自治体へ脱皮することを訴えて、私の反対討論といたします」
地域の努力や願いに耳を傾けない傾向は、今後も数多くでてくると思います。今回の事例が、話し合いはするけれど、最後は町の意向に従えという事例になる可能性があります。近年、信頼を失う自治体が増えている中で、かつらぎ町がこういう古い傾向を脱皮できないなら、地域おこし、まちづくりはできないのではないでしょうか。
内容見せていただきました。
率直に感じたのは、かつらぎ町に魅力を感じなくなりました。
統廃合の結論については、仕方のないことかもしれませんが、それに行きついたプロセスが許せません。
要するに、町民にはタイトな説明はせず、納得してもらえなかったから、時間切れ。
町民に対して信頼を損ねるようなことをして、それを擁護する議員。
町が独裁で物事を進めたら誰が歯止めを書けるのですか?
議員でしょ?
民主主義では数がものをいうと思いますが、大勢でいじめてもみんなでやってるから大丈夫みたいに感じます。
悪いことをすれば数ではなく内容ではないでしょうか?
個人的な考え方だと思いますが、このままではより良いまちづくりはできないでしょうね。
町の考え方、議員の質の悪さ、がっかりです。
この内容だと行政にも一理あると思うけど・・・特に町長がごり押したようには思えない。僕の感覚からすると町側は普通。
5年も前からやってるんでしょう?ゴネ得を許すと全体の計画が狂う。当然の言い分。
最後は、大を助け小を切る。そうしないと結果として良くない。
大体、5年も話し合って結論でないものは、いくら話し合っても無駄。
トリノさん
統廃合の結果ではなく、プロセスのことを言ってるんですよ。
半ば嘘(ただの嘘か)のような説明をして、不意打ちでしょ。
普通じゃないですよ。
他の行政でも同じことをしてるかもしれませんが、そもそもそれがダメだって言ってるんですよ。
あとそれを擁護する議員もおかしいでしょ?
それがまかり通るなら、議員なんかいらんって思います。
言い過ぎかもしれませんが、結局自分たちの利権で動いてんじゃないの?
かつらぎ町を愛して議員してる人いてるのかな?
ハルクさん、トリノさん、コメントありがとうございます。
和歌山県は、2つの高校を統廃合する方針を打ち出しましたが、大きな種名運動が起こったので、統廃合方針を撤回したことがあります。
かつらぎ町もそういう柔軟性があればいいんですが。
天野小学校って高野山に参拝の時にいつも通り過ぎる小学校です。
田舎の小さな可愛い小学校という目でみていました。
統廃合って自分の母校が無くなることですよね…
現実の問題と浪漫の間で人間の心は揺れますね…
難しい選択だなぁ
480号沿いの学校のことでしょうか。
2つあります。一つは、四邑小学校、もう一つは、志賀小学校です。
天野小学校は、480号から左手に折れて坂道を上りトンネルを越えると広がる盆地です。丹生都比売神社のある地域の学校です。
天野小学校って高野山に参拝の時にいつも通り過ぎる小学校です。
田舎の小さな可愛い小学校という目でみていました。
統廃合って自分の母校が無くなることですよね…
現実の問題と浪漫の間で人間の心は揺れますね…
難しい選択だなぁ
ネットサーフィンから失礼します。
かつらぎ町は小学校が地元自治会だけではなく町にとってどれだけ大切か、本気で考えたことがあるのか疑問です。全体の方針とか他地区とのバランスとか、そんな簡単なもんじゃないでしょ。短絡的すぎる。
少しでも、小学校がなくなった後どうなるか、どうするのかシミュレーションしたことはあるのかな。古来、地域の中核は神社仏閣だったけど、今は小学校といっても過言ではない。もちろん、古い神社があるところは、それと並ぶ性格のものになる。
ここは丹生都比売神社という立派なものがあるようだけど、書き込むのも憚られるがそこを潰すのとある意味では同じレベルのことをしたことになる。2本ある求心的な柱を1本抜かれると、郷土を愛する心が半分なくなるのでは。
郷土愛の失せた人間が、どうしてかつらぎ町や和歌山県、日本を愛することができようか。
神社があるから良いといわれるかもしれないが、子どもたちが減れば、神社を誰が支える?誰が地域に残る日本古来の伝統芸能を後継する?
これらの問題を解決しなければならないのは、問題を招いた教育委員会や議会の、次世代の人間となるだろう。。
ライトウイングさん
どの地域の方かはわかりませんが、
天野は白州正子さん(白州次郎さんの妻)が住みたいと言っていた地域です。
ぜひ、お越しください。
ハルクさん
東芝さんがプロセスを批判しているのは分かりますよ。東芝さんには悪いですが、いささか主観的な内容過ぎると思いましたのでその点については無視しました。事実である統廃合のみに絞って意見をコメントしています。理由として、平成19年から統合問題は話し合われており、論議は十分すぎるほどやっているはず。おまけに学校適正配置計画もあるということは、十年近く前からの論議です。今更、プロセスなんて言い出すのはチョットなぁ~違和感がありすぎる。
もう一つ、実を言うと僕が中学に進学するときに、僕の学区が天野小学校の学区のような問題がありました。
そのときは統合中学問題だったのですが・・・・・町内の中学を一つにまとめる計画で進んでいたんだけど、僕の学区だけが反対して統合に参加しませんでした。地区全体の統合賛成が80%もあったのに、それをひっくり返した一部の人たちが居たのです。そのせいで、僕は統合中学に進学できませんでした。その腹いせという訳じゃないですが、自分の子供は2人とも今も残る地区の母校である小規模中学に進学させませんでした。どこの地域にも居るのよ、分らず屋がね・・・そういうのが居ると地区全体が付き合いとかあって反対に回るのが日本の集落の特長です。でも天野小学校学区の住民すべてが反対ではないですよ。統合賛成住人もそれなり割合があるものです。
それと・・・東芝さんには悪いけど、こういう問題には必ず共産党が絡むのよねぇ~。・・・・笑
トリノさんの体験があったから、統廃合問題にこだわって書かれるんですね。
東芝さん、返信ありがとうございます。
ちなみに、私も一般論として書いてしまい申し訳ないのですが、すべてそれで片付くものではなく、あらゆる社会問題は個別のケースで語られるべきです。賛成にしても、反対にしても。
私の場合小学校をなくすことにはあくまで一般論として反対なのですが、天野小学校の場合は、なくすことに反対するような特別な理由はあるのでしょうか。賛成する側(8人の議員さん)の特別な理由もできれば教えてください。
興味がわきましたので。。厚かましくてすみません
「学校を残してほしい」という場合、特別な理由はそんなにいらないと思います。地域で子どもを育てたい、地域と学校がふれあえる環境の中で子どもが育つのがいちばんいいなどの理由が、天野小学校の場合も核になっています。
問題が精鋭化したので、次のような議論はなかなかできませんでした。しかし、学校統廃合が起こったときに、一番最初に考えたのは、地域で子どもが育つことについての深い意味でした。
以下は、その時にぼくが考えたことです。
日本の教育は、非常に画一的で、もっと自由に地域の中にある文化とか自然など豊かなものを教材にして学ぶことが大事だと思います。とくに小学校の時代は、子どもが豊かな体験をすることを通じて多くのことを学ぶようにすべきだと思います。自然科学の知識も社会科学の知識も、学校の周りにあるさまざまなものから学ぶことが大事だと思います。
学校や地域にあることを生きた教材にするという姿勢は、統廃合するだけで決定的に失われます。天野地区の学校で当たり前のようにできていた地域での学びが、天野地域から学校をなくすことによって失われてしまいます。
低学年から高学年にかけては、具体的な現実の中から多くのことを学ぶことが大事だと思います。そうしないと、豊かな認識は育ちません。
日本の教育は、どうも教科書の中に押し込められていて、豊かで具体的な現実から多くを学ぶというようになりません。学校の先生方に子どもに接する自由な時間があり、教材研究をおこなう自由な時間があれば、集団で地域のことを教材にした副読本を作り、もっと個性的で豊かな地域色のある学びを生み出すことができると思います。歩いて通える範囲に学校があり、子どもたちが学校の行き帰りに道草をし、虫や生き物や花や草を見て、氷があれば足で踏んでというような生活空間で育つことがいいと思っています。
そういう意味では、天野地域は(もちろん天野だけではあえりませんが)、理想的だと思います。
天野地域は、学校を残してほしい理由の中心に地域と学校との連携を理由に挙げていました。この理由に対し、教育委員会は、「特別の理由にはあたらない」と言いました。町長は、全体計画の中で天野の統廃合を行う必要があるので、「残す特別な理由はない」という主旨のことを最終、答弁しました。教育委員会の言い分よりも悪いですよね。
天野地域はそれだけではなくて、学校を残すことを一つに軸にして、地域おこしの計画を立てて、移住してもらえる運動を熱心に取り組みました。すべての空き家を調査し、家主に働きかけて貸してもらえるよう交渉し、移り住んできた人には、天野地域のルール(地域の決まり事)を文書で伝えるとともに、仕事のお世話などもおこないました。
田舎暮らしは、憧れだけではできません。綺麗な風景の田舎は、住んでみると虫がいたりは虫類がいたりということです。都会にはない不便さがたくさんつきまといます。そういう煩わしさをきちんと伝え、仕事の厳しさも伝えながら移住を働きかけてきました。その結果、10年間で20軒の移住者が誕生し、子どもの出産も増えています。天野小学校は、現在6人しか生徒がいませんが、将来的には20人ぐらいの小学校になる見通しがあったと思います。
天野の人々は、この取り組みを見ていただきたい、だからこそ学校を残してほしいと訴えました。
こういう取り組みに対して、「特別の理由にはあたらない」と答え、最終的には、「残す特別な理由はない」といってのけたのです。
天野地域の取り組みが、順風満帆なものになるかどうかは、誰にも分かりません。一時的なものに終わるかも知れません。でもそんなことは問題ではないと思います。地域が必死に取り組んでいる地域おこしをサポートするのが行政のすべきことだと思うのです。山間部がものすごいスピードで衰退しているときに、天野地域の地域おこしを励ます意味は非常に大きいと思います。
当初計画どおり進めざるをえないというのは、なんという了見の狭い話ではないでしょうか。
天野の統廃合に賛成した議員の方々の最大の言い分は、天野小学校の存続を認めたらかつらぎ町全体に混乱が起こる。統廃合した他の地域のみなさんの納得が得られないというものでした。
「私たちの地域の学校がなくなったんだから天野もなくなるべきだ」という意見はあります。しかし、こういう意見が、学校がなくなった地域の人の意見のすべてではありません。「私たちの地域の学校はなくなったけれど、天野の学校が残るのはいいことだと思う。天野はがんばって欲しい」という意見もあります。
そういう意見があることが考えられるはずなのに、学校がなくなった地域の人の気持ちを考えると天野小学校を残すのは不公平だ、と一方的に主張して統廃合しか選択肢がないという態度でした。
かつらぎ町に三谷という地域があり三谷小学校があります。ここも天野小学校と同時に統廃合されました。この地域は、地元同意を得て統廃合の準備を進めてきました。もし、天野小学校が残れば、三谷地域でも学校を残せという声が強まってしまう。大変なことになるという意識も強く働いたようです。
日本共産党は、そういう状況もあったので、ただちに天野を存続させるという結論を出すのではなくて、現に今、意見の一致がないのだから、統廃合の協議を継続すべきだという見解をだしました。町当局は、天野の地域おこしを支援すべき、天野地域は統廃合の協議のテーブルにつくべき。双方が歩み寄って建設的な協議をおこなうべきだというものです。その協議の際、文部省の48年通知が協議の基準になると言わせてもらいました。
学校が存続するかどうかは、教育委員会と地元の話し合いによって決めるべきだと思います。決めるのは議会ではないということです。意見の一致をみないのであれば、学校は残るといいました。ただ、現時点では、協議の継続を主張したということです。
それと・・・・統廃合とは直接関係ありませんが、僕の勝手な小・中学校規模の理想論というのを持っています。小学校で1学年2クラス。中学校で1学年4クラス程度。それが理想の規模だと思います。もちろんメリットとデメリットがあるのですが、自分の経験からするとその程度の規模がないと、子供の多様性に対応する教育ができないと思うからです。小規模の小・中学校を経験した者の感想は、規模の小さい学校はクラブなどの選択枠が限らせてしまいます。またいじめは小規模でも発生しますので、大規模と同じです。大規模の学校のほうがいじめが多いような受け取られ方がありますが・・・そうではないとおもいます。
今回の統廃合の問題は大人の勝手な対立です。子供の視点になった考えが抜けています。実際に学校に通うのは子供たちです。複式学級の小さい学校に通うのがいいか?それよりも大きい学校に通うのがいいか?それを判断するのが大人の見識です。勝手に地域おこしの計画の材料にされても・・・その影響を受けるのは子供たちですよ。
子供が犠牲とありますが、果たして小規模校へ行かすことが子供にとってだめなことなんでしょうか?
また、子供自体が統廃合によって、どれだけのストレスを感じるのでしょうか?
なぜ複式学級はダメと決めつけるのかも理解できません。
少なくとも、私は大規模より小規模の方がメリットはあると思いますが。
まぁ人それぞれの考え方があるので、大規模が良いという人の意見は妨げませんが、私は小規模がいいです。
自分の子供も小規模で育って欲しいですね。
ちなみに私は、超がつくほどの大規模校でした。
大規模校は最悪でしたよ^^;
かつらぎ町民は町のやり方をどう思ってるのでしょうか?
私は一住民として、町と議員にたいして嫌悪感を感じますね。
議員にもいろんな言い分はあると思いますが、自分の中の正義感的なものが、どうしても許せません!
(議員さんのブログに書くことではないですが)
東芝さん、丁寧に教えてくださりありがとうございます。ただ、私は管轄内に同じような例(ここでは三谷小学校と思います)がある場合、一方は廃校でokだがもう一方は残したいということには特別な理由があってしかるべきだと思います。東芝さんが三谷小学校も本当は残すべきだったとお考えなら別ですが。それとも、自治会の同意がとれたから良い、というものなのでしょうか。
あと、トリノさんとハルクさんのコメントを見て思いました。
はたして天野小学校の場合は子供の発達にとって良いものか悪いものか。
ハルクさんのほうは町民の方なので、事情にお詳しいかと思いますが、できれば教えていただきませんか。
天野小学校はいつから複式で、複式の前と後とで子供の発達に違いが見られたかどうかを知りたいです。
三谷小学校は、地元の同意があり、統廃合の手続が進み、妙寺小学校との間で改築委員会が作られています。学校名、校歌、校訓も決まりスクールバスの計画も具体化されています。
「統廃合は地元同意に基づいて」という方針に沿っていました。
これに対し、天野小学校は、地域住民の総意という形で「天野小学校存続」という意思が明確でした。
残す特別の理由があるのであれば、地域住民が学校を残すことを求めていたということです。
あけましておめでとうございます。昨年は、議員には大変お世話になりました。議員本来の姿を見せていただきました。結果として残念なものになりましたが、地元の者として、まだ民主主義のルールは残っていたと少しの安堵を覚えました。ありがとうございました。私たちは、行政のルールとして、住民をだましていいのかということに憤りを覚えたのです。筋を通すのであれば、最初から最後まで通して欲しいものです。共産党議員団の皆様は別として、かつらぎ町に議会は必要ないと思いました。小学校は、村にとって単なる文科省の教育機関にはとどまらない、そのことを解っていない行政には明日は無いと思います。ありがとうございました。
たかおちゃんさん、明けましておめでとうございます。
最終的に役場の主張した「全体計画に従ってほしい」という考え方にずっと引っかかっています。この考え方で行けば、町が計画した以外のものについては、認めないことになってしまいます。
全体の立場に立っているのは、かつらぎ町だけですから。
「全体計画に従ってほしい」という話自体、地域にはいっさい語ってこなかったという重大な問題もありました。地域の様々な取り組みやバリエーションを認めないと、地域おこしやまちづくりはできません。
かつらぎ町の現在の傾向に対して、あきらめるのは簡単ですが、あきらめていては何も変わらないので、見切ったり、見限ったりはしません(何だよ、いったいという腹立たしい気持ちはものすごくありますが)。今回の大きな出来事は、今後に生きると思います。ひとつの結論は、次の出発です。天野のみなさんが力を合わせたことの意味は大きいと思います。今回の取り組みが地域おこしの新しい力になると思います。
天野小学校のユニークな活用方法も含め、みなさんの取り組みがさらに発展するよう期待します。
充て職の大好きなかつらぎ町は、文教厚生委員会の副委員長であるぼくを、また学校給食の審議会のメンバーにしなければならなくなりました。無難に事業を進めたいとだけ考えるかつらぎ町を相手に、どう取り組んでいくか、今までとは少し違った観点で審議会に臨みたいと思います。
ぼくは、中学校給食を地域おこしの一つの契機にしたいと考えます。そういう観点から豊かな議論ができるように努力したいと思います。
天野小学校も廃校になってしまうんですね…
私は小さい頃橋本市に住んでいましたが
ここ、かつらぎに引っ越して来ました。
何も無い、不便な所と皆は言いますが
ここはとても良い所、私の大好きなふるさとです。
しかし過疎が深刻な問題でここ数年、いくつもの学校が
廃校になり、非常に寂しい思いです。
四邑小学校の窓に「ありがとう さようなら 」と子供たちが
書いた文字には いつも見るたび涙が出てきそうで…
かつらぎ町は またひとつ失うものが増えましたね。
かつらぎ町がふるさとになって、大好きになったことは、すばらしいことだと思います。
「何も無い、不便なところ」という意見は、おそらくその通りだと思います。
だから山間部に住んでいた人も、次第にかつらぎ町の笠田や妙寺に降りてきたのだと思います。
ぼくは、子どもだったので、小学校を卒業したときに、新城から母親の転勤と合わせて笠田の街に越してきました。子どもの気持ちとして、おもちゃ屋さんがあり、信号のある駅前通りは、ものすごく豊かな都会に見えました。そのことによって目が輝いていたとも思います。
笠田の街が都会だと思っていたので、「かつらぎ町は、田舎やから」という意見にもかなり長い間、違和感をもっていました。
しかし、山と山との間に貴志川の清流が流れる新城に住んで小学校時代を過ごせたことは、ぼくにとって、かけがえのない思い出になっています。よく天野のすばらしさを多くの人が口にします。ものすごくすばらしいところです。トンネルを越えると天野の平地が広がっている様は、なんだか別世界に来たような感じがありますから。
でも、同じように自然がいっぱいの新城には、天野の魅力とは違ったものがあるように感じます。ぼくたちは、北の山と南の山に挟まれて生活してきました。何らかの湿度の加減なのか、5月頃になると山彦がよく響きました。「おーい」と声を掛けると何重にも「おーい」という声が返ってきます。新城で住んでいると、自然が胸の中にとけ込んでくるような感じがありました。
ぼくが、抱いていたこの感慨は、山村留学生の方々の書いている文章にも共通していました。山と山とに挟まれているだけに、自然が無意識のうちに深く胸に入ってくるのだと思います。
何も無いのは不便ですが、都会にない豊かな自然が、豊かな感覚を育ててくれるのだと思います。このようなふるさとを残して行くことの意味は、ものすごく大きいのだと思います。本当は、観光資源などなくてもいいし、開発もしなくていいのだと思います。山と川を中心とした自然があること、その中で生活すること、そこにはかけがえのない価値があること、それは住んでみないかぎり分からないこと、そういうことが何らかの形で伝わればいいなと思います。
いつか、政治の大転換を実現して、田舎が滅ばない、衰退しないような、田舎が田舎として存続できるような時代を実現したいと思います。