天野小学校を廃校する議案、多数の賛成で可決

かつらぎ町議会

天野小学校の廃校を含む議案は、12時過ぎから質疑がおこなわれました。昼食の休憩に入らないまま、4時まで休憩なしに質疑をおこない、討論をおこなったことは、23年議員をしてきた中で、はじめてのこととなりました。
かつらぎ町教育委員会は、一貫して学校の統廃合は、「地元同意に基づいておこなう」と説明して来ました。この説明は、今年の10月31日まで変わりありませんでした。
10月31日は、天野地域で学校の統廃合についての懇談会がおこなわれた日です。この時の話し合いは平行線をたどりました。この席上で天野地域の司会者は、最後に引き続き懇談会を開いてくださいといい、教育総務課長は、懇談会を開きましょうという態度を取りました。その場にいた町長、副町長、教育長、教育委員長は、この発言に異論をはさみませんでした。井本町長は、この懇談会の席上で12月議会に議案を出すとは一言も言いませんでした。教育総務課長が、懇談に合意する言葉を述べたのは、教育委員会が「あくまでも地元同意のために努力する」という方針だったからです。

この方針を反故にして、教育委員会が天野小学校の廃校を決定し、議会に議案を提出することを決めたのは、11月26日です。11月27日が議会運営委員会でした。11月26日まで教育委員会は開催されていないので、天野自治区との懇談会の報告がおこなわれたとすれば、それは11月26日だということです。普通、引き続き懇談会を開催したいということが報告されたのならば、廃校を決定するという態度を取ることには矛盾を感じると思います。しかし、そういうことにはならずに廃校を決定しているので、誰が統廃合についての方針を変更したのかという疑問が残ります。
議会運営委員会とは、議会に提出する議案を協議する会議です。この会議の前日、午後5時前に天野小学校の廃止を教育委員会が判断しています。議案の作成や調整という作業があるので、前日の午後5時に提出議案を決定するなどというのは、通常の場合ありません。今回は、事前に資料を準備しておいて、教育委員会が終わると電話連絡して、文書を作成してもらうというやり方をとっています。教育委員会は意思決定の機関として扱われていないようにみえます。まるで事後承認機関です。この決定の仕方には、教育委員会の自主性がありません。

なぜこのような経過をたどったのでしょうか。
方針の変更を迫ったのは、井本町長です。事態が変化したのは11月に入ってからでした。
12月5日に議会が開会され、天野小学校の廃校について井本町長は次のようなあいさつをおこないました。

 「天野小学校については、平成19年5月以来、5年間協議を進めてまいりましたが、地域のご賛同を得るまでには至っていない状況でございます。特に本年1月、統合を延長してとりくんで来たところでございます。
 しかし、平成19年以来取り組んできた経過の中で、8校を統合する計画を変更することは、これまで廃止をしてきた4校の地域、あるいは今後廃止をしようとしている他の地域の理解を得られない状況であること。
 また、全体を一つの計画として、学校適正配置計画に基づき、統合校を整備し、統合後の送迎手段の整備、中学校の耐震対策、学校給食の実施など、事業全体を執行してきた中で、天野小学校を統合しないとする特別な事情があるとは言えないと考えております」

 この説明は、「地元同意にもとづく学校統廃合」という方針を完全に否定するものでした。この説明によると25年4月というタイムリミットがあったことになります。また、昨年1年間学校を存続させたのは、統合を延長しただけだということになります。タイムリミットも、1年間延長しただけという話も、12月5日まで明らかになりませんでした。
町の全体計画に従ってもらうという態度は、和歌山県の教育界の考え方とは全く相いれないもので、行政による一方的な押しつけです。行政マン的な考え方に彩られたこの考え方は、文部省通知の存在を知らないなかで出されたものでした。井本町長は、質疑の中で、「昭和48年の文部省通知については承知していない」と答弁しました。
井本町長は、教育委員会が採用してきた方針の根拠も知らないまま、タイムリミットが来たので全体計画に従ってもらうべきだという態度をとったということであり、教育委員会はこの「町長の意向」に従ったのだということです。
全体計画に従うべきだという話は、天野地域で語られたことはありません。「あくまでも地元同意で」とだけ話してきたのです。12月5日に明らかにされたこの「廃止理由」は、12月になって突然出されたもので、後出しジャンケンのような議論です。

教育委員会の今日の答弁は、この町長の挨拶に歩調を合わせるものでした。その結果、答弁は矛盾をはらまざるを得ませんでした。今までの方針とは相いれないので、誤魔化すためには、どうしてもウソが入ってきます。
かつらぎ町教育委員会は、子どもの教育に責任を負っている機関です。この機関が、大人の世界になると、ごまかしの答弁をおこない、自分たちが採用してきた方針についてさえまともに答えられないで、ときには偽りの答弁をおこなうということです。
今回の地元同意なしの天野小学校の廃止という態度は、和歌山県内の教育委員会には全く事例がない、和歌山県内の教育界の方針とは違うではないか、という問いに対して、教育長は、和歌山県内の高校の統廃合は、2校間のものだったが、今回は全体計画の中での話なので、事情が違うと述べました。この答弁は驚きでした。このような答弁は、議会の中でも、天野地域住民に対しても、全く語られてこなかった考え方にもとづくものでした。ここには、悲しい教育委員会の姿があります。

ぼくのおこなった質疑で、教育長が全く答えなかったものがあります。それは、昭和48年の文部省通知が、小規模校について学校を残すという考え方を示していることについての認識です。もう一つは、地元同意にもとづく統廃合という方針であれば、平成25年4月以降も統廃合協議が続くのではないかということに対する認識です。さらにもう一つは、紛争を引き起こしてはならないという文部省通知について、紛争を引き起こしたのは教育委員会ではないかという問いです。
これらは、問いただしても言及できませんでしたから、答えられない質疑だったということでしょう。

結局、4時間の質疑の末、天野小学校の廃校が決定しました。ぼくたちは、天野小学校との協議を続けるべきだという観点から天野小学校の存続を求める修正動議を提出しました。引き続く協議は、昭和48年の文部科学省通知にもとづいておこなわれるべきであり、地元が学校の存続を求める場合は、学校は残るということも主張しました。この修正案は、3人の議員の賛成、8人の反対で否決されました(1人退席=棄権)。この修正動議に対する質疑はありませんでした。原案は、4人の反対、8人の賛成で可決されました。
不思議なことに、今回、保守系議員の方は、原案に対する賛成討論を3本、修正案に対する反対討論を2本もおこないました。事前に原案への反対討論が3本出ると分かっていたので、一生懸命討論を組織したようです。天野地域の方々の傍聴がある中でがんばる姿は、かなり異様でした(異様と感じたのはぼくの感覚ですが)。

議員の方々は、町の全体の計画に逆らうことが、どうも許せないようです。天野は勝手だということであり、勝手な行為は許さないという感じでしょうか。この感覚は、井本町長の挨拶と合致していると思います。
自民党の憲法草案は、「公益及び公の秩序」のために基本的人権を制限するという考え方を貫いていますが、結局、全体計画に従ってもらう。もうこの選択肢しかないという考え方は、自民党の憲法草案に重なるもので、住民の意見よりもかつらぎ町の計画が優先するというものです。

ぼくは、原案に対する反対討論を次のように締めくくりました。
「かつらぎ町は、今日までほとんど地域住民の意見を聞いてこなかった自治体です。議員の中には、「地域住民の意見など聞くな、つけあがるだけだ」という意見さえあります。これは恥ずべき暴論です。
 過去をふり返ると、行政が打ちだした方針に対し、本町でもさまざまな反対運動が起こってきました。しかし、ほとんどの場合、議会の多数派を味方につけて町の方針を強行してきた歴史があります。
 このような行政のあり方を根本的に変えなければ、住民の信頼は得られません。行政内の極めて狭い考えで行政運営を行うのではなく、住民の知恵と力を行政に結集しながら、まちづくり、地域おこしを行わなければ、かつらぎ町の発展はありません。
 ワンマン的な町長はいりません。勇ましいヒーローもいりません。住民の知恵と力を結集し変化を生み出すためには、オーケストラの指揮者のような力こそが必要です。
 天野地域の取り組みを含め、かつらぎ町の各地域の取り組みには、地域おこしに発展する大きな力があります。このことを懐深く評価して支援する自治体へ脱皮することを訴えて、私の反対討論といたします」

地域の努力や願いに耳を傾けない傾向は、今後も数多くでてくると思います。今回の事例が、話し合いはするけれど、最後は町の意向に従えという事例になる可能性があります。近年、信頼を失う自治体が増えている中で、かつらぎ町がこういう古い傾向を脱皮できないなら、地域おこし、まちづくりはできないのではないでしょうか。


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Posted by 東芝 弘明