求む。質疑の「水先案内人」
午前中、人と会った。午後、質疑の準備を再開。
一気に春めいてきている。花もいっせいに咲き始めている。
3月議会の準備には、毎年四苦八苦している。調べることが膨大にある。
少し恥ずかしい話を書く。
23年間も予算書と格闘しているけれど、中には「これは何?」といっても答えられないものがある。議員は、全ての制度に精通している訳でもないし、事務の現場を見ている訳でもない。むしろ、知らないことの方が多い。予算書には、議員の知らない世界がお金の流れとして書き込まれている。
予算書と格闘するというのは、知らない世界に分け入って、できるだけリアルに、具体的に深くつかもうとする努力だといっていい。リアルに把握するとともに、そこに横たわっている仕組みを把握できれば、改善すべき問題点などが見えてくる。現場で生起している問題は、かなり複雑であり、問題点を把握して、改善すべき点を浮き彫りにして意見を持つためには、さまざまな努力が必要になる。
法律を深く理解する必要もあるし、現実がどうなっているかを把握する必要もある。法にもとづく事務なので、法律を深く理解すると事業の改善につながることが多い。
ぼくは、質疑の多い議員だ。議会が早く終わるかどうかは、ぼくがどれだけ質疑をするかどうかにかかっていると言われたりもしている。
30歳で議員になったときから、どれぐらい時間が経ったときだろうか。ある時期から自分のことを質疑の「水先案内人」だと思ってきた。地方議会の質疑は、3回までという制限がある。したがって、一度に10項目以上の質疑を重ねる場合がある。それに対して全部答えていただいた上で、再質疑、再々質疑を行う。この方法では、なかなか問題の本質に肉薄できないときがある。そういうときは、問題点を明らかにして、10歳年上の宮井議員に質疑を引き継いでもらうということを考えていた。
だから「水先案内人」。
しかし、23年経って一番期数の長いベテラン議員になると、「水先案内人」ばかりを自認できなくなってきた。ベテラン議員のように要所要所を押さえて、骨太い、ラインの濃い質疑をしたいとも思っている。
若い議員だったぼくが、「水先案内人」を務めていたように、誰かがたくさんの質疑を行って問題点を浮き彫りにしてくれれば、その質疑を踏まえた上で、骨太い、ラインの濃い質疑ができるのにと思っている。
しかし、現時点では、期数の若い議員の質疑がものすごく少ない。誰も「水先案内人」の役割を担う人が存在しない。今年の予算質疑の歳入については、質疑がものすごく少なく、結局ぼくが一番多いという結果になってしまった。
歳入については、歳出と重なる項目もたくさんあるが、歳入の質疑は、国や県の制度についてのやり取りに比重が置かれてくる。それは、制度の本質への肉薄ともなる。歳入で質疑したものは、歳出では聞かないという形をとる。準備の際は、その見分けもおこないながら予算書に書き込んでいく。
歳出は、歳入のように制度の仕組みが中心ではない。その制度を活用して具体的に予算が組まれるということになる。したがって、制度のことをあまり知らなくても、質疑は可能になる。ただし、深い質疑を行うためには、できるだけ制度や予算の組み方や執行の仕方を把握することが重要になる。
議員の仕事の第一は、行政施策のチェックにある。チェック機能は、条例案などの議案と予算の質疑によって果たされる。これを積極果敢にしない議員は、このチェック機能を放棄しているに等しい。ぼくはそう思ってきた。
議員は、質疑を行う権利をもっているが、それを実行するのかどうかは、すべての議員に任されている。予算書をほとんど見ないまま、事前調査をしないまま、議会に臨んでも誰も何も問わない。ただ、黙って座っていても議員は議員ということになる。
保守でも革新でもなんでもいい。とにかく、ぼくよりも先に積極果敢に手を上げていただき、さまざまな質疑を行っていただきたい。そうすれば、ぼくの質疑の数が少なくなり、ぼくの出番も少なくなる。
また、ときには、なるほどと思わせてくれるような質疑を期待したい。
深い質疑を行うためには、実際の質疑の数倍の時間が、準備のための時間として必要になる。たとえば、5時間の質疑を行うためには10数時間の準備が必要だろう。
「3月議会は忙しいですか」
忙しいというよりも、時間とのたたかいなので、プレッシャーが大きいというのが、ぼくの場合の答え。ただし、膨大な準備の時間の積み重ねが、自分にとっての財産だと思っている。
固い地面にトンガを突き刺して、土を掘り起こすためには、ひたすら汗をかいて作業するしかない。そういう努力をしないと専門化している自治体の仕事を理解することはできない。土を耕す努力もしないで「難しい」というのは、根本的に間違っている。
誰だって込み入った話を込み入った形で理解するのは難しい。しかし、このような努力をしないと、道はひらけない。ひたすら努力するかどうか、ここに全てがかかっている。
日本共産党以外の議員で、誰か、深い準備をして質疑の「水先案内人」になってはもらえないだろうか。
「質疑ありませんか」
という議長の問いに、数多くの議員の手がいっせいに上がるようにさらに変化すれば、かつらぎ町という行政は、もっと発展すると思うのだが。
東芝さんのそのご意見大賛成です。
そもそも議員の仕事であるチェック機能が、今のかつらぎ町では機能していないと思います。
もう一つ言えることは、町民の意識も引くからと私は思います。
自分ならってことが議会だよりを見て、常々思います。
この前、議論をしていたら、「審議会の方々が真面目に一生懸命議論しているんだから、それを議会が修正するのはどうか」という意見があって驚きました。
この論理でいけば、「町長が一生懸命議案を検討して議会に出したんだから、それを修正するのはいかがなものか」ということにもつながります。
でもねえ。
議会は、町長と同じように自治体の仕事全体を見渡して、俯瞰できる唯一と言っていい立場に立っています。だからこそ、首長と議会は対等平等なのです。でも、町長と同じように文字どおり全体を広く深く見渡すためには、非常勤である議員が自主的に深く実態を把握して、物事に精通していかなければなりません。そういう努力を行えば、議員による議案の修正は、自治体の仕事をさらに発展させる上で大きな力を発揮するものだと思います。
議員という仕事の最大の魅力は、際限のない学習が力になる職業だということです。深く学べば、確実に前進できます。人間と自然を相手に、蟷螂の斧のような歩みを繰り返していますが、日々の積み重ねによって、確実に前進できる仕事だと思います。
知的な作業に従事できる仕事に就ける人は幸せなのかも知れません。知的な力が必要な仕事は、選びたくてもなかなか選べないものでもあると思います。議員という仕事は、学ぶことを無限に求めるものです。でも、学ぶ気がなければ、ただ議場に黙って座っていればいい仕事でもあります。それでも報酬は出ます。しかも、学ばない議員でも、選挙になると結構強いのも現実です。ハルクさんのいうように、住民の中にある民主主義の度合い(民度)が低ければ、学ばない議員でも議員は務まります。
知的な力が必要な職業に就いている人を見ていると、学ぶ人と学ばない人に分かれます。若い時代に集中的に学習して、あとはグライダーのようにひたすら下降している人もいるし、のらりくらりとかわすようにしてその位置に留まっている人もいます。
学校の先生や役場の職員にもこのことは当てはまります。
人を教える教師には、たえず学ぶことを求めたいと思います。学び続け、研究し続ける人は、教える中身を豊かにし続ける人だと思います。自分が専門にしている分野については、視野を広げ認識を深める努力をしてほしいですね。無限に開けている複雑な世界に分け入って行く理知(理性と知性。知性だけでなく理性を伴った知性のこと)の力を磨いて、子どもたちといっしょに希望を語ってほしいと思います。
一つ間違い
「引く」ではなく「低い」です。