保育所の実態。悲しほど貧しい現実。

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保育所の現状について、訪問して話を聞かせてもらった。
保育士11人の内、臨時任用職員が7人。これが、ぼくの訪問した保育所の人的な配置だった。
8月に臨時任用職員の内の1人が病休になり、臨時の補充のために臨時任用職員が配置され、11月からもう1人の臨時職員が産休による退職となったので、さらに臨時任用職員が配置された。
これが、公務員の職場であるはずの保育所の実態だった。
「はたして、このような財政状況の中で保育所を直営で運営できるのかどうか」
真面目な顔をして、穏やかに語った役場の職員の顔が浮かんできた。
「保育がなぜ直営でなければならないのか」
言葉はきれいに響いていた。
保育士が退職しても正規職員を雇用せず、保育士に欠員がでたら現場と担当課で何とかしろといい、その一方で事務職員がたらないからと言って役場の中に保育士である職員を異動させ、取り込んでいく。その結果、年々、保育の現場では臨時任用職員の比率が高くなり、臨時任用職員という6か月雇用の人の肩に子どもの命がゆだねられていく。
「臨時でも十分やって行けているではないか」
これが役場の人事を扱っている職員の声だろうか。
同一労働同一賃金という原則がある。しかし、この原則は、かつらぎ町の保育所には存在しない。11人中7人が臨時任用職員であるということは、臨時任用職員が正規の保育士と同じ仕事を担っているということだ。
日額6200円。最近になって5900円という日額が、300円引き上げられた。臨時任用職員で10年以上勤務している(こういう雇用形態はまさに脱法行為だろう)人の日額で最高額は8700円でしかない。
かつらぎ町は、80年代後半に保育所を民間に委託し、「保育所は民間に委託してもサービスは低下しなかった」と言ってきた。
民間の安い賃金で、質の高い保育を実現してきたのだから、公立の保育所でも臨時任用職員を増やして、それが過半数を超える状況になってもいいだろう。──これが人事を担当してきた役場職員の声なのだろうか。
民間委託の実現によるコストの削減が、公立保育所の臨時任用職員を増やす動機になってきた。そういうことではないだろうか。
同じ役場の職員であるのに、なんという態度だろうか。保育士の資格をこんなにも軽く扱い、不安定な雇用を平気で行っている。
歴代の町長の方々は、4年ごとに退職金を1500万円以上も受け取ってきた。ぼくたちが退職金の減額を唱えると、「私にも生活がある」といった町長もあった。
この11月で産休となった臨時任用職員は、任用期間が切れたので契約打ち切りとなり、「退職」した。でも、正確にいうと臨時任用職員には、退職という言葉はない。任用期間の終了ということで、雇い止めしても解雇扱いにはならない。再任用しないということは、契約を更新しないということでしかない。仮に10年以上勤続しても退職金はない。
11人中7人も臨時任用職員がいて、この人々の肩にかつらぎ町の保育が担われていることを、おそらく本庁の職員の何人が知っているのだろうか。
こういう人事ができるというのであれば、役場の職員の7割を臨時職員に切り替えてもいいというのだろうか。おそらく、そういうことはできるのかと問えば、そんなことはおかしいというだろう。きっと。それとも保育と役場の事務とは違うとでもいうのだろうか。
かつらぎ町は、次世代育成支援の計画を充実させようとしているが、根底から保育の体制を不安定にして何が子育て支援なのか。ちゃんちゃらおかしい。
子どもは物じゃないし、保育は簡単な事業ではない。保育は誇り高い人間を育てるかけがえのない事業だ。保育に欠ける子どもたちに、家庭的な温かさや人間の優しさや、人間への信頼に支えられた安心感を与え、子どもがすくすく成長する環境をつくることが、その子の現在と未来にとってどれだけ大切なのかを、役場はどれだけ知っているのだろうか。夫婦共働きで働かなければ、食べていけない現実をどれだけ知っているのだろうか。
子どもは、かけがえのない時間を生きている。3歳の体験や4歳の体験、5歳の体験が、どれだけその後の人生に深い影響を与えるのか。小さいときの、まわりの人々の愛情の深さや大きさが、人間にとってどれだけ大切なのかを、どう考えているのだろうか。
人生には、再チャレンジできることも多い。しかし、その年齢のときに体験できなかったかけがえのないものは、取り戻すことができない。子どもの時代は2度と返ってこない。豊かな体験を経ないで育つことによって失われるものは、ものすごく大きい。保育に欠ける子どもたちによりよい保育を保障するのは、未来への投資であり、この投資には無限の価値がある。
かつらぎ町は、大量の退職に対し、数人の職員の採用を行っている。こういう採用になっている背景には、国によって縮小されていく財政問題が横たわっている。職員体制を縮小させながらサービスを維持するというテーマには限界がある。
職員採用の中に保育士の確保は、まったく入っていない。保育の体制がやせ細っていけば、民間委託がしやすくなるので、保育士を採用しない方がいいということなのだろうか。
なぜ、保育が行政改革の筆頭にあげられるのだろうか。公的保育なんて意味がない、ということだろうか。
臨時任用職員の確保で子育て推進室は苦労しているが、確保できないのは担当課の問題だという態度をとっている。これだけ身分の不安定な職場を作っておきながら、臨時任用職員の確保は、担当課の責任というのはおかしい。
現場の現実を知らないから、こういうことがまかり通っているのではないだろうか。
おそらく非人間的な実態を知らないので、現実に起こっていることを非人間的だとは感じていないだろう。
机の上で制度は壊せる。現実を見なければ制度は壊れる。


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Posted by 東芝 弘明