文明による破壊

出来事

雨の中、傘をさして2時間半、ビラをまいた。元々は田園地域のような所に国道ができ、自動車道専用道路が開通し、下に降りるバイパスもでき、電車の車庫もできたことによって、地域がさまざまな形に分割されていた。道路は、地域と地域を結ぶネットワークだと思うけれど、動脈のような道路ができることによって、もともと存在したのどかな田園風景は、道が交差するたびにバラバラにされてきた。

傘をさして、雨に濡れながら歩いて、地域を見ることなど少なくなった。ずっと歩き回っても、ほとんど傘をさした人を見なかった。歩いている人は、家に向かって歩いていた高校生2人だった。便利になった分、人々はほとんど歩かなくなった。歩かなくなっただけ、見えないことが多くなった。それは、生活にも当てはまるかも知れない。毎日、あわただしく生きるというのは、物事をじっくり見ない、物事をじっくり考えないことを意味している。

日本人は、四季折々の変化を歩きながら感じていた。自分の力で歩いて生活している時代は、自然の変化が心の中にしみ込んでいたのだと思う。速く移動できるようになって、多くの時間を今まで以上に確保できているかのように見えながら、実は、それによって失ったことの方が多いというのが、本当のところではないだろうか。

見上げると、コンクリートのかたまりである道とそれを支える大きな支柱が異様だった。支柱の上に乗っかっている道を、車が立体交差しながら走っていた。その道の下は、支柱ごとに分断された死んだような土地になり、日のあまり当たらない空間になっていた。死んだような土地は、さらにていねいなことに金網が張られ、自由に行き来さえできないように区分されていた。その支柱の近くまで、民家が寄り添うように小さく集まっていた。民家は、コンクリートに押しつぶされそうになりながら肩を寄せ合っているように見えた。
日本では、大きな力が力の弱い国民の生活を苦しめている。歩き回った地域は、日本の文明の縮図のようだった。


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出来事

Posted by 東芝 弘明