相手の脳みそを借りることと地方議会

雑感

都議会

人との会話が、新しい視点を開くことは多い。問いかけに答えるときに、見えなかった事柄が見えるようになることがある。他人の視点が、自分にとっては新鮮であり、その新鮮な視点に促されて話が深まり、ほんの少し新たな地点に立ち至る。
そのような会話が面白い。

会議も同じ。

他人の脳みそを借りて考えるといういい方がある。知識のコラボレーション。時間を共有し、物事を探究して新しい地点に立ち至る。そういう会議になると、会議は有意義なものになる。
会議を仕切って、自分の思いを徹底的に伝達する。こういう伝達のための会議では、知のコラボレーションは生まれない。
伝達のための会議と、他人の脳を借りて考えるクリエイティブな会議とは、会議の仕方も目的も違う。
伝達のための会議は、当然必要だ。多くの会議は、このためにも存在する。クリエイティブな会議であっても、伝達するための会議という側面は、なくならないことの方が多い。
「意思統一を図る」といういい方が共産党の会議ではよく使われてきた。議論をして、意思を統一するというのは、伝達のための会議という側面が強い。このような会議は、主催者の側からすれば、方針の徹底ということになる。
会議=会社の方針の徹底ということも多いのではないだろうか。

議会における会議の方式は、一種独特なものだ。議論を通じて意思を統一するというものではない。相手の脳みそを借りて新しいものを生み出すというものでもない。出される議案は、結論をもったものだ。成案を町当局(町長と教育委員会部局)は用意をして、「できれば無修正で通していただきたい」という形で出してくる。議会は、その成案について、提案説明を聞き、調査する時間を与えられて、調査し、質疑を行う。提案説明をして以降、基本的には当局側は原案を修正しない。修正するケースはないとはいえないが、それは希だ。国会では、審議の時間が十分に取られることが多いので、質疑を通じて、問題点が明らかにされ、修正が図られる。日本の国会では、修正案は、各政党によって行われる。
当局は議案を出す側。出した議案を積極的に修正するのは議会の側。議案を修正できる議員の数は12分の1。修正案を提出するには、一定の議員の賛成が必要という要件がある。
地方議会では、議案の審議というのは、ほとんどの場合、数十分、長くても数時間しかない。何日もかけて行われるケースはごくわずかだ。従って、議案の修正は、提案されたら質疑に入る前に修正案をこしらえて、提出することになる。議場では、修正案と原案が同時に審議されることになる。多くの議員は、いきなり、原案と修正案の両方の話を聞いて判断を迫られることになる。地方議会では、修正案と原案を比較して十分考える時間がない。
この辺のところを工夫しないと、議会の権能は高まらない。

原案を無修正のまま、可決することも多い。その場合でも質疑がさかんに行われる。原案無修正可決の場合の質疑にはどのような意味があるだろうか。質疑を通じてさまざまな論点が明らかになる。条例や予算を実行するときに、議会から出された視点が生きることになる。行政側の事務は、議会の質疑を通じて次第に変化するようになる。
質疑を通じて、新たな取り組みが始まることもある。

かつらぎ町の議会の場合、質疑は、ただ単に疑義を質すという状態には留まっていない。質疑の中にも新たな提案が含まれている。疑義を質すだけの質疑であれば、町当局は、ひたすら説明責任を果たしていればいいことになる。地方議会は、合議制を重視したものだという指摘がある。この指摘を生かすためには、提案を含んだ質疑を積極的に受け入れる必要がある。建設的な質疑が行われ、多角的に物事が審議され、それを町当局が十分にくみ取ってはじめて、質疑が行政の仕事に生きるようになる。「善処します」とか「検討します」というようなその場しのぎの答弁でやり過ごすような姿勢で臨んでいる限り、議会の質疑は生きたものにならない。

合議制の機関としての議会の質疑をどうとらえ直すのか。これは、議会の側と町当局の側が深く考える必要がある。

議案提出者としての町当局。修正する権限をもった議会。議案を提案する権限も持った議会。これだけではなくて、議会には質問という形で、政策を提案する権限が与えられている。政策提案の一番分かりやすいものが一般質問だ。一般というのは、町政一般についての質問という意味をもっている。
議員は、町政の問題について、かなり広範囲に渡って提案を行う権限を持っている。町長の政治姿勢について見解を問うこともできるし、行政機構のあり方についても提案できる。予算の組み方も、新たな政策提案もできる。もちろん、「農業政策はどうなっていますか」というような現状の事務事業について尋ねるだけの「お尋ね質問」も許されている。
しかし、このお尋ね質問は、あまり意味をなさない。質問をしているようでありながら、事態を動かさないからだ。相手の脳みそを借りて物事を考え、そこから新しいものを生み出すためには、積極的な提案が必要になる。提案を含んだ質問を行うということは、その提案について、当局と議員がともに考えることになる。提案に良さを感じたら、そこから新しい施策が立ち上ってくる。

質問する人と答える人という形に完全に分離した形をとっている一般質問は、提案型で行われる場合、ケースによっては知のコラボレーションになる可能性があると言っていいだろう。どれだけ充実したやり取りになるのかどうかは、双方の準備による。この場合も、町当局が、できるだけその場しのぎで事態をやり過ごそうという姿勢になれば、議員の努力はなかなか実らない。
議会とは何か、議員の質問とは何か。ということを双方がよく理解をして、あり方を積極的なものに変えていかないと本格的な変化は起こらない。

議員の政策提案能力の向上が重要になる。そのために委員会活動を前向きに変化させる必要がある。調査活動と学習が、政策提案能力の向上に直結している。


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Posted by 東芝 弘明