子ども議会の傍聴をおこなった。

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午前中、赤旗新聞の購読のお願いで日曜版1部。
午後1時からは、小学校6年生と中学校2年・3年生による子ども議会があった。1〜2分の一般質問の後、課長と町長・副町長が答弁をおこなった。子どもの純粋で真面目な質問に対し、課長の方々は、きちんと事前に原稿を用意してていねいに答弁していた。どのような角度から質問がおこなわれるかわからない本物の議会よりも、準備ができた点もあって答弁に内容と真摯さがにじみ出ていた。
子どもたちの質問に対して、大人がこれだけ真剣にまじめに答える場というのはそんなにない。子どもが現実のさまざまな諸問題と真面目に向きあい、考えたことに対し大人が責任をもって答えた子ども議会は、貴重な場になったと思う。
終了後、ある課長は、「質問が純粋なだけに真剣に答えさせていただいた」と語っていた。
こういう子ども議会をできれば毎年おこなっていただきたいと思う。小学校6年生と中学校3年生を対象にすれば、毎年子どもの顔ぶれが変わっていくので、新鮮さを持続できると考える。
日本の学校教育は、現実のさまざまな問題に対し、真剣に考えさせて答えを見つけようとする機会が少ない。今日のような問題意識に対し、学校で討論がなされ意見が深まっていくような機会を設けることは意義深いことだと思う。本来は、学校の教育課程の中に現実の社会の問題がきちんと組み込まれ、学んだことと社会の問題が結びつけられて議論され、認識が深まるようにすべきだろう。
大人でも答えが出ない問題が、教育には似つかわしくないなどというのは全くのナンセンス。もし、こういう認識があって、具体化しないというのであれば、日本の教育は豊かにならない。大人が考えても議論が分かれ、答えが出ない問題というのは、ものすごく多い。こういう現実の問題に対し、子どもの視点でコミットメントする権利が子どもにはある。これが意見表明権の具体化だろう。
簡単に答えが出ない問題を真剣に考えていくことが、学問への意欲を組織する。答えが出ないからこそ、研究したいということになるのだ。研究は、大学に入ってからというのでは、子どもの中に知的好奇心や問題探究意識は培われない。
社会問題、自治問題、環境問題などについて、小学生や中学生が真剣に考える機会を発展させていただけたらなと思う。
夕方からN区長の還暦を祝う会に出席させていただいた。総勢70人を超えているような大宴会だったが、気持ちのいい人が多く、Nさんの人柄を映す鏡のような感じがした。
そうそう、昨夜寝る前、トイレから出て真っ暗闇の中を洗面所に行こうと思って左に曲がったところ、壁に激突して鼻をしたたかうった。洗面所の手前で曲がってしまって、無防備のまま壁に顔をうちつけたのだ。
「いったあ」
声が2階まで響いた。
打ち身の傷は、今日になってから一層クッキリするようになった。
人前に出るのが恥ずかしい。


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Posted by 東芝 弘明