ブログを書いてきて本当に良かった

雑感

あらためてブログをざっと見直し、固定ページなどの記述を最小限変更した。2005年1月7日からはじめて9年が経ち10年目に入っている。9年間、ほぼ休まずに日記を書いてきたことになる。このデジタルデータは、膨大なものであり、紙ベースに印刷するとものすごくなるに違いない。
過去に書いた文章は、印象として残っているものもあるが、まったく書いた内容さえ忘れているものが多い。日々感じたことを書き留め、自分の血肉になったものもあるが、短期記憶に留まってすっかり忘れているものもある。

時間が経過すると、記憶からまったく失われて行くので、自分の書いた文章も他人が書いたものと同じになる。ただ、読み進んでいくと記憶とつながることもある。日記を書くというのは、人生を二度生きることと表現した宮本百合子の言葉がよみがえってくる。

文章を書き続けると自分の中に確実に変化が生まれてくる。ぼくの場合は、自分の演説が進化した。
告示の日、出発式で訴えをさせていただいた。このときは、自分の思いを語った。時間の短縮ということはほとんど考えなかったので10分ほどの訴えになった。候補者カーを走らせて、佐野で行った最初の街頭演説は4分程度。それ以後100回の演説まで基本は全く変わらなかった。原稿は書かなかった。頭の中に組み立てが明確にあったわけでもない。100回の演説を機に、演説内容を組み替えた。このときも原稿は書かなかった。そこから50回、街頭演説の内容はほぼ同じにした。100回を超えてからの演説は、人口減少と地域の活力低下を打破したいという思いに意識が集中していった。当選させて欲しいという訴えに力点があった演説が、自分の思いの中では、ぜひこの現状を一緒に考えて欲しいというものに移行した。こういう気持ちの変化は、自分でも驚きだった。
ブログを書いてきたことによって、演説の内容が簡単に組み立つようになった。選挙期間中の演説の組み立ては、潜在意識の中で処理されていた。

ブログやメールを書いている人に伝えたいのは、話し言葉ではなくて、書き言葉として文章を書いてほしいということだ。日本語の書き言葉は、明治以降次第に確立して今日に至っている。もちろん、話し言葉にこそ、生きた力があり、話し言葉の変化が、書き言葉に対してたえず影響を与え、言葉はものすごく激しく変化している。それでも、確立している書き言葉を身につけて、自在に文章を書けるようになると、改まった場で、議員であれば議会などの公式の場で、書き言葉に近い発言をすることができるようになる。書き言葉を意識して、メールやブログを書いていると、いわば、話し言葉と書き言葉の両刀使いになれる。日本語なのにバイリンガルが完成する。話し言葉を行かす最良の方法の一つは、書き言葉の中に会話として話し言葉を活用することだ。話し言葉には、思いや感情がよく宿る。

メールが日常会話的になり、話し言葉の世界になりつつあるのは、面白い傾向だと思う。手紙は、どんなに早く着いてもポストに投函した翌日にしか相手に届かない。しかし、メールは送信すれば瞬時に相手に届く。この伝達の速さと話し言葉とは関係があるように見える。短いメールのやり取りが、会話に近くなるのは、会話と同じような即興性と伝達の速さにある。会話がメールによって再現される。
でも、ここには落とし穴がある。メールに馴れてしまっている人は、文章をかなり書いているのに、会話文に馴れてしまって書き言葉から離れて行く。これは、本人が思っている以上に自分自身への影響が大きい。人は、他人宛に改まった形で文章を書く機会を失いつつある。一般の人にとっては、まさに手紙があらたまった書き言葉によって文章を書く大事な機会だった。しかし、この機会が失われたことによって、相手に書き言葉で文章を綴る経験を奪うことになった。メールという形で文章をさかんに書いているのに、話し言葉ばかり使っているので、文章がなかなか書けないという状態が広がっている。これはいかにももったいない現象だ。

日本語の書き言葉には、滑らかなリズムがあり、この美しさを知っている人の文章には心地よさがある。書く文章に滑らかさや豊かさやリズムがある人の文章には滅多に出会わないが、そういう域に達したいと願っている。努力だけが人をそういう域に運んでくれる。
言葉には魂がある。言葉のもつ魂のような力、それは、自分で発した言葉が、自分に跳ね返ってくることに由来している。話し言葉も、書き言葉も、自分で発した言葉は、必ず自分の心に突き刺さる。心に突き刺さるこれらの言葉は、いつも自分を育ててくれる。美しい言葉を使いたいと考え、実際に使っている人は、自分の使う言葉によって、自分に影響を与えている。相手を罵倒するような言葉を使い続けている人は、自分の発する言葉によって、自分を罵倒している。知らないうちに。

10年目に入ったぼくのブログは、この10年間、ぼく自身を育てる力になってきた。文章を書く力は、演説の力になり、議場での質疑や質問の力になり、会話の力になってきた。今回の選挙戦は、あらためてこのことをぼくに教えてくれた。
ブログを書く。それは自分の魂を育てる力にさえなっている。


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雑感

Posted by 東芝 弘明