地方議会は、通告なしに質疑できるはず

雑感,議員の活動

議会広報編集特別委員会の会議の前に、和歌山県後期高齢者医療広域連合のお二人があいさつに来てくださった。お会いして話を聞いていると、議員全員協議会で、申し合わせ事項の変更があったという説明があった。
任期切れで出席がかなわなかった広域連合議会では、質疑を通告していない議員は質疑できないというルールが確認されていた。これには心底驚いた。ぼくが、議会の場にいたら、こういう提案には反対をしていたのに、このような申し合わせが確認されたというのは、極めて残念なことだった。

町村議会議長会編集の『議員必携』では、通告制であっても、通告にもとづかない質疑があることを記載している。『議員必携』は、町村議会議長会編集と言うことになっているが、市議会などにとっても、地方議会の原則を示した重要な本になっている。今回の連合議会の申し合わせは、『議員必携』が明示しているルールをせばめるものになってしまった。今までの広域連合議会は、通告者の質疑が終了すると、議長が「通告者による質疑が終わりました。他に質疑ありませんか」というように議事を進行していた。この従来の方法に戻さないと、議会の議論が極めて形骸化する可能性が濃いと言わなければならない。

地方議会における質疑3回というのは、議会が1つの問題で延々と議論を行うことを避けるために作られたルールに見える。議員の質疑は、この3回というルールにずっとしばられてきた。3回の質疑しかできないので、答弁が微妙にずれていくと、話をかみ合わせるのに時間がかかり、回数制限のある質疑の限界にぶち当たって追及しきれないことが多い。
かつらぎ町議会では、質疑を聞いていた別の議員が、「今の話を聞いていると、私も問題があると思いますよ」というような形で、質疑を引き継ぐことが頻繁に行われている。その結果、当局が議案を取り下げたり、審議が止まり協議が行われたりすることが何度もあった。
議会でない普通の会議では、他人の発言が色々な人の考えを触発し、やり取りが生まれ、方向が定まる。他人の質疑を踏まえて臨機応変に質疑するというスタイルは、普通の会議で、他の意見を聞いて発言するのに酷似している。普通の会議で、他人の意見に触発されて意見をいう行為を禁じたら、それはもう会議ではなくなる。質疑3回という制約がある地方議会で、通告のない議員の質疑を認めるかどうかは、他人の意見に触発されて意見を言えるかどうかという、いわば会議の本質にかかわる問題ではないか。

ぼくが、長い間、同僚議員との関係で、質疑の水先案内人を自認してきたのは、まさに3回しかできない質疑という問題にしばられてきたからに他ならない。かつらぎ町の2人の共産党議員は、1人が問題点を明らかにして、もう1人が質疑を引き継ぐという形で、問題点を追及してきた。このような連携は、通告だけしか認めないことになると機能しなくなる。

通告制は、国会を見習っているという議論があるかも知れない。国会は、完全に通告制を採用しているようにみえる。そのかわりに、委員会における質疑や質問には、質問時間がある。議員の持ち時間があるなかで、一問一答方式が採用され、かなり深い質問や質疑が行われている。完全通告制を採用するのであれば、質問時間を保障し、一問一答方式を採用して欲しい。そうすれば、議員個人でももっと深い質疑や質問を準備できる。

今回の申し合わせ事項は、議員の提案によってなされたのだという。議員が自分たちの言論に制限をかけ、それを認めてしまうというのも残念な話だった。次の議会のときには、この申し合わせを元に戻すように提案したい。地方議会のルールとして、通告を行わないで質疑や討論はできるはずだ。それを制限するのはおかしい。いったい何を根拠にこのような制限を設けるのか。提案はここから始めたい。


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Posted by 東芝 弘明