「富岡さん、知ってるで」

雑感,出来事

TOMIOKA

「富岡清彦さんが衆議院に出ます」
「知ってるで。オレと一緒に北川鉄鋼に行っとたんや」
親しくしているNさんはそう言った。
「Nさん、北川鉄鋼に行ってたんですか」
「オレが30そこそこの時に、富岡がいたんや。旋盤やらせたらうまかったんや」
「Nって言ったら分かりますか」
「分かる、分かる」
佐野でポスターを貼っていたら、Nさんがやってきて、こんな話になった。

橋本市議会議員を23年間務めた富岡清彦さんが、日本共産党の公認として衆議院2区から出馬する。国会議員の方々の中には、地方自治体の政治の現実を知らないまま、国会議員になった方も多い。地方自治体は、「民主主義の小学校」といういい方がある。実際に議員として仕事をさせてもらっている実感は、小学校と言うよりも「学校」という方に近い。民主主義を貫いている組織はたくさんあるけれど、地方自治体以外に民主主義の「学校」はないというのが実感だ。
この「学校」で努力を重ねてきた富岡さんは、国会議員としても得がたい人材だと思う。地方の政治と国の政治を立体的に把握して対応できる住民の代表をもつことは、紀北地域にとってかけがえのない人を得ることになる。

かつて、和歌山県北部には日本共産党の野間友一さんという国会議員がいた。この方は、地域を歩き、住民の願いを真っ直ぐに国会に届ける仕事をした人だった。亡くなったとき、国会質問の足跡をリストアップした資料を手にしたが、質問項目を見ただけで、和歌山県北部の住民の願いが色濃く反映したものだったことがよく分かった。質問を通じて実現したことも多かった。
かつらぎ町の紀の川護岸に堤防を建設するのに尽力した話は、当時町長だった方の語り草だった。
ぼくが議員になったときには、すでに野間さんの議席は失われていた。あれから24年。野間さん以後は、和歌山県選出の国会議員の方々について、その仕事ぶりを聞かせてもらう機会は、全くなかったと言っていい。
「あと3年したらアベノミクスは和歌山にもやってくる」とか、「年金問題は、15分あれば全部説明できる」とか、「消えた年金なんて存在しない。来年3月末までには全て解決する」とか、「和歌山県活性化の起爆剤となる京奈和自動車道の開通、バンザイ」とか、こんな話はじかに自民党の国会議員の方々から聞かされてきた。これらの言葉は、そうならなかった現実とのギャップによって鮮明に記憶に残っている。「国会議員は嘘つきなのか?」という疑問とともに。

誰が見ても「グッドジョブ」というような仕事ぶりを見せてはくれない。ヒットどころかバンドによる出塁すらないかもしれない。このような国会議員の方々を選んできた県民の中には、「誰が政治をになっても政治は変わらない」という意識がこびりついていそうだ。このこびりついた意識を引きはがすと、失望と怒りがある。
「誰が政治をになっても政治は変わらない」
なぜそう見えるのか。
答は簡単。
和歌山県は政権党中心の国会議員を送り出してきたからだ。政権与党の「改革」は、はじめから論理的矛盾を含んでいる。体制を維持してきた人々の「改革」には、むなしさがある。
小泉改革がその一つの証明になっている。「自民党をぶっつぶす」と言って、実際にぶっつぶしたのは、何だったんだろう。
潰したのは派閥による政党運営だけではなかったか。国民の多様な意識を反映した分厚い自民党の体質は、シングルイシューのような政党に変化した。かつて、自民党の中には憲法9条を大切に感じていた国会議員もいた。しかし、このようなハト派は、自民党の中で影をひそめている。自民党は、ヘイトスピーチまがいの安倍政権の暴走を止めることのできない政党に変貌している。
これを実現した仕掛けは小選挙区制。一人しか当選しない選挙制度の下で、自民党執行部に反旗を翻す自民党の候補に対しては刺客が送り込まれた。この「小泉改革」によって、自民党は執行部の意向には逆らえない極右政党に変貌した。

政権党に願いを託しても、政治は変わらない。本物の改革には、過去の政治への批判と反省が必要である。政権党による改革の中には、過去の政治への批判があるのだろうか。自分たちが推進してきた政治に対する反省はあるのだろうか。政権党による改革とは、過去の政治も正しいが、時代が変化したので何もかも制度疲労を起こしている。だから時代にあうように改革するというもの。自分たちのしてきたことには向きあわず、時代の変化に責任を転嫁して、改革を叫んでいる。自己検証のない改革は、方向性を見失ってしまう。
日本共産党のいう改革は、古い自民党政治である大企業中心主義とアメリカ中心主義を改めて、国民主権が生きる日本への転換をはかることを中心にすえている。そのために農林水産業と中小企業重視の方向にカジを切る。無国籍企業の利益を優先するのではなくて、経済を内需拡大に転換し(これは決して外国との関係をないがしろにするものではない)、国民の経済活動を支えて資本主義の発展を目指すというもの。国民の暮らしを守り第一次産業を再生しようとするこの改革は、歴代の自民党政治の反省の上に立った改革だ。
自民党流の改革は、安倍さん曰く「企業が一番活動しやすい日本をつくる」ということに一つ目の核心がある。大企業が利益を上げられるように、株価をつり上げ、円安を促進し、社会保障を縮小させ、労働法制をさらに破壊する。これが本物の改革なんだろうか。この改革によって破壊されるのは国民の生活やいのち、暮らしである。この改革の先に和歌山県の未来はないのは、明白だろう。
改革のもう一つの核心は、戦前回帰。安倍さんにしてみると、戦後は醜い時代の積み重ねだった。美しい日本への回帰。それは憲法9条を否定し明治憲法をよみがえらせるものだ。戦前回帰の改革は、過去の政治への反省のなさという点では最たるもの。ここまで反省がないのはおぞましい。

大企業の利益が増え、貧富の差が拡大する政治の現実と和歌山県の現実のギャップは激しい。おそらく、今回の衆議院選挙でも、自民党の候補者の方々は、アベノミクスの推進を主張するだろう。和歌山県とアベノミクス。ミスマッチもはなはだしい。アベノミクス続くと和歌山は浮上しない。進むのは地域崩壊。アベノミクスの放ってきた3本の矢は、ことごとく和歌山の現実には突き刺さらない。まったくの的外れの政策を展開されて、落ち込んでいくのが和歌山の現実だ。
自民党の国会議員が、「あと3年待っていただきたい」といった選挙から1年半が経過した。来年アベノミクスによって和歌山県の浮上の兆しが見えないと、この言説は嘘になる。嘘は事実の進行によって暴かれる。現在進行形の経済情勢は、円安と消費増税による増税不況というべきものだ。景気の失速はこのままだとさらに広がっていく。アベノミクスの現実は、2年目に入った今年は、目を覆いたくなるような失速だと言い切っていい。量的金融緩和と機動的な財政出動、成長戦略という3本の矢こそが、経済を悪化させる要因になりつつある。
国民の生活を考慮に入れず、大企業が儲かれば、その恩恵が「したたり落ちる」という経済理論は、完全に破たんしている。ワイングラスを積み上げたタワーにワインを注げば、ワインはしたたり落ちて行く。アベノミクスというのは、国民には「したたり降りてくるのをお待ちください」という政策に過ぎない。経済の現実はワイングラスを綺麗に積みかさねたタワーではない。大企業が儲けを投資先がないといって抱きかかえているのに、「したたり落ちる」と説くのがそもそも間違っている。

明日から、総選挙が始まる。民主主義の学校で奮闘してきた富岡清彦さんと比例での日本共産党の躍進のために全力を尽くしたい。


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雑感,出来事

Posted by 東芝 弘明