選別主義とのたたかい

雑感

%e5%8c%bb%e7%99%82

最近、フリーアナウンサーの長谷川豊さんが人工透析患者に対して、「自業自得の人工透析患者なんて、全員実費負担にさせよ!無理だと泣くならそのまま殺せ!今のシステムは日本を亡ぼすだけだ!!」という表題のブログ記事を書いて炎上した(現在表題や記事が訂正されているようだ。表題は「医者の言うことを何年も無視し続けて自業自得で人工透析になった患者の費用まで全額国負担でなければいけないのか?今のシステムは日本を亡ぼすだけだ!」に変わっている)。この人の論理の根底には、選別主義的な福祉観がある。

全腎協の抗議文に対し、長谷川氏は謝罪と訂正を断固拒否するというブログを書いている。全腎協が私の抗議文を送ったそうだ。結論から申し上げるが、謝罪と訂正を断固拒否する。というか「出来ない」。その理由。
引用してみよう。

「慢性疾患になっても、誰もがどこでも安心して生活を送ることができる社会の実現」

大変申し訳ありませんが、現状の日本社会のおかれている現状があまりにも見えていらっしゃらないのではないでしょうか?
私に対して抗議文を送付したのですよね?
ではご回答いただけますか?
私の質問にもお答えいただきたい。

「あなた方は、今のままで人工透析への補助が、受けられ続けるとでも思ってらっしゃるのか?」

出来れば公開のインタビューにお受けいただけないでしょうか?
シンプルな質問です。お答えいただきたい。

この1年で、どれだけの数の透析患者が増えました?あなた方の方がよく知ってるでしょう?
この1年で国の負担は何円増えましたか?あなた方の方がご存知ですよね?

こんな状況、早晩持たなくなることくらい、あなた方が一番自覚しているでしょうが!
全員救いたい、という気持ちをすべて否定はしません。素晴らしい社会主義国的な発想だと思いますし、高度経済成長期の日本であれば、それは可能だったと思われます。

しかし、今の日本は限界なのです。自覚してください。貴方がたの年齢の方々は大丈夫でしょう。
しかし!
今の日本の若者たちの生活は…もう限界なのです。こんな医療費の増大を看過することは不可能です。

事実、人工透析病棟への国からの補助はどうなっていますか?
どんどん切り詰められ始めているでしょう?
私の言っていることは何か間違っていますか?

私は、
■本人に全く非がない腎疾患の方への透析治療
は何が何でも国が全額負担すべきだと信じています。彼らは何一つ悪くないからです。
■かなりグレーゾーンであっても本人の責任とは言い切れない方への治療
これも国で全額持ってあげるべきだと信じています。法の世界にも「推定無罪」の原則があります。グレーであれば、それは助けてあげるべきです。

が!

医者の言うことを何にも聞かず
医者が処方する薬も正確に飲みもせず
看護師に暴言を吐き
家族が止めても酒を飲み続け
「うまいもん食って何が悪いんだ!おらぁ!」
と暴れ…

その結果、人工透析まで至った患者がいますよね?
正直に答えてくださいよ。
大変申し訳ないが、かなりの数、いますよね?

そういう人たちにまで、「全額を国で負担しましょうね~」なんて…そんなシステム…

もう持つわけないでしょうが!!!!

あなた方の気持ち、そしてあなた方の理念はとても素晴らしいと思う。あなた方の活動によって救われている患者が全国にたくさんいると思う。

が。

時代は動いています。もう、高度経済成長期ではないのですよ。あまりにも苦しい経済事情の中、高すぎる保険料と税金をしょっ引かれている現役の子育て世代の皆さんのお気持ちにもちゃんと思いやりを持つべきです。責任ある社団法人の、それは勤めではないですか?あなた方は透析患者と透析病院の「利権集団」のおつもりか?

だとしたら、とっとと解散すべきだ。そんな集団は今の時代に合わない!

フリーアナウンサーの長谷川氏が、こういう考え方をブログに書いた。有名なアナウンサーの個人的考えということだが、これと同じ発言を厚生労働大臣がしたら、辞任しなければならないだろうb。

相模原障害者施設殺傷事件の犯人と同じ考え方が、長谷川氏のブログ記事には表れている。
この対極にある考え方を示したのが内橋克人さん。考え方を披露した番組はNHK教育テレビのETV特集「いま憲法25条“生存権”を考える~対論 内橋克人 湯浅誠~」。この番組を紹介した「すくらむ」のブログ記事を引用してみよう。貧困者を犯罪者とみなす刑罰国家の危険 – 憲法25条“生存権”軸の福祉国家へ(内橋克人×湯浅誠)

3日に放送されたNHK教育テレビのETV特集「いま憲法25条“生存権”を考える~対論 内橋克人 湯浅誠~」を見ました。

その中で、印象に残った内橋さんの言葉は、「19世紀における貧困への対応は、救貧思想に基づき、ワーカーズハウスという一種の強制収容所で、貧困当事者に強制労働をやらせるというものだった。貧困当事者に対して、怠惰だから、怠け者だから貧困になるんだといって、強制労働をさせた。それに対し、社会的な批判が巻き起り、貧困は個人の怠惰などが問題ではなく社会構造のひずみがもたらしたもので、貧困が生まれるのは社会全体の問題だという考え方が20世紀に入って強くなっていった。日本において、貧困を自己責任、個人の責任として、19世紀へ戻るような懲罰的な対応の仕方をやっていくとどうなるか。貧困のあとにやってくるのは監獄社会だ。ルールを厳しくして、少しでもルールからはずれると厳罰主義により監獄に送り込むという形で、貧困は排除すればいいという社会が生まれる。そうなってしまうと、社会的には大きなマイナスをもたらす。社会的費用の負担はもっともっと大きくなる。そういう道ではなく、憲法25条の“生存権”を、国を作り直す原点にして、日本型の福祉国家づくりに向けて努力すべきだ」と語っていたところです。

長谷川氏は、いとも簡単に

医者の言うことを何にも聞かず
医者が処方する薬も正確に飲みもせず
看護師に暴言を吐き
家族が止めても酒を飲み続け
「うまいもん食って何が悪いんだ!おらぁ!」
と暴れ…

その結果、人工透析まで至った患者がいますよね?
正直に答えてくださいよ。
大変申し訳ないが、かなりの数、いますよね?

と書いてるが、この条件に当てはまる人はかなり少ない。「かなりの数、いますよね?」という考え方が、一方的な決めつけだ。医者の言うことを何も聞かず、医者の薬も飲まないで、看護師に暴言を吐き、うまいもんを食って暴れる人を全国で探したら、ちょっとしかいないだろう。何重にも条件を重ねて、こういう人がかなりの数いると言い切る人が、どうしてアナウンサーなのかという気持ちになる。
長谷川氏は
「私は、
■本人に全く非がない腎疾患の方への透析治療
は何が何でも国が全額負担すべきだと信じています。彼らは何一つ悪くないからです。
■かなりグレーゾーンであっても本人の責任とは言い切れない方への治療
これも国で全額持ってあげるべきだと信じています。法の世界にも「推定無罪」の原則があります。グレーであれば、それは助けてあげるべきです。」
ということをいとも簡単に書いている。
本人には全く非がない人は全額無料、かなりのグレーゾーンであっても本人の責任とは言い切れない方への治療という2つの条件に当てはまる人は、助けてあげるべきだという考え方をどうやって実現するのか。この文章は、深くものを考えないで書かれているのではないだろうか。
このようなことを実現しようと思えば、国は、人工透析患者になったら個人情報の全開示を求め、遺伝子レベルでの解析や素行調査と身辺調査を行って、この2つのパターンにはまる人を探さなければならない。これが実行に移されたら人工透析患者を犯罪視することになる。
そういう事態を生み出すことをどうして文章化できるのだろうか。

言葉を使うことを仕事にしている人は、世間に公表している文章にも責任を負うべきだろう。こういう文章の書き方を平気でする人は、選別主義者だといわなければならない。徹底的な選別主義は、極端な差別を生み出す。これは排外主義に他ならない。徹底した自己責任論が、他人の非を攻撃する傾向を極端まで推し進め、社会に役に立たない者は切って捨てよという風潮が広まっている。長谷川氏はこの風潮を助長する人だろう。この傾向とたたかわないと人間同士の連帯や思いやり、信頼関係は築けない。選別主義との徹底したたたかい、普遍主義による対案の提示。ここに力を尽くしたい。


にほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログ 和歌山県情報へにほんブログ村 政治ブログへにほんブログ村 哲学・思想ブログ 哲学へにほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログへブログランキング・にほんブログ村へ

雑感

Posted by 東芝 弘明