住民との協働とは何か(1)

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住民との協働について書いておきたい。
先週の土曜日、和歌山市内で和歌山県地域・自治体問題研究所の総会がおこなわれ、木曽町の田中町長の記念講演があった。
田中町長は、日本共産党員の町長の1人で住民から求められて町長選挙に立候補して当選した人だ。議員8期目のなかでの町長選への出馬だった。
田中さんは、まちづくりに力を発揮してほしいということで委員を公募した。すると96人の公募があり、会議を開くと意見の違いから喧嘩になった。96人で話をしたらうまくいかなかったので委員を30数人ずつに3等分し、改めて議論をおこなった。その議論の中からまずは地域ウオッチングをおこなおうということになり、町並みの保存や改修、改善をおこなうことになった。
ここから変化が生まれた。
住民との協働の本質はどこにあるのか。
団体自治側の行政が、住民自治の力を信じて大胆に住民自治を受け入れる。
ここに協働の核があるのではないだろうか。
行政がおこないたいことを住民の側に提示し、住民に協力を求めるのが、協働の本質ではないだろう。
まちづくりの主人公は住民だというのであれば、まちづくり計画作成の主人公も住民だということになる。
まちづくり計画が、住民の自発的なものになるためには、まちづくり計画の中心に住民がすわり、住民自らが計画を立てる必要が出てくる。
木曽町の田中町長が、まちづくりに意欲をもった町民に参加してもらって、まちづくり計画を議論してもらったという姿勢は、このことを端的にあらわしている。
住民の協働は、町の発展のためにあなたは何ができるのか、ではない。
この考え方だと主格は行政になってしまう。
協働の語源は、コラボレーションなので、住民と行政が対等平等にお互い協力し合うということになる。
住民と行政が対等平等の関係でコラボレートするというのは、結局、住民自治と団体自治の結合という地方自治の本旨の具体的な実践ということになる。
住民自治と団体自治の関係をより根本的に考えると、国民主権と行政との関係を考える必要がある。
国民主権がすべての土台であるとすれば、住民自治と団体自治のどちらが土台になるのかを考える必要がある。
国民主権の実現のために地方自治の本旨があるとすれば、住民自治と団体自治の主格ははっきりする。団体自治は、国民主権を実現するために作られたものなので、住民自治と団体自治の結合といったばあい、主格は住民自治ということになるだろう。
住民自治を土台に、国民主権を実現するために、住民自治と団体自治を結合するという場合、住民自治がより主体的な役割を担うということになるだろう。
住民自治を大胆に積極的に認め、住民自治を基本に町づくりを進めるという話を住民はどう受けとめるだろうか。
最近、何人かの人に「住民自治を大事にして対等平等の関係で団体自治と結びついて町をつくっていく」という説明をすると、開口一番、「そんなことはできんやろ、そんなんは理想や。行政がそんな態度を取ったことがあるか」という強い拒絶の反応が返ってきた。
いかに行政が信頼されていないかの証左だった。
「いままで、行政は自分のしたいことを住民の側にお願いして、仕事を押し付けてきた。そういうことを積み重ねてきた自治体が、住民自治を大切にして住民に協力するというイメージは湧きませんよね」「行政が主役で、住民はそれに従うものということをしてきたもんね」
ぼくがそう言うと「わが意を得たり」という反応が返ってきた。
こう書くと行政の側からは、
「行政が実行したいことを住民に押し付けてきたというが、住民は道路建設や溝の改修など様々な要望を行政に迫ってきたではないか」、「住民はあれもしてほしい、これもしてほしいという無理難題を出して実現を求めてきたではないか」という反論が返ってきそうだ。
しかし。視点を広げてみると、住民の一方的に見える要望には、違った側面が見えてくる。
結論から書いてみよう。
住民の要望と行政側からの住民への押しつけは、相互補完的(相互依存的)であった。
住民の要望を聞いてもらいたいがために、行政への協力をおこなうという関係だったということだ。
この関係の根底には、双方の利害の一致があるだろう。
さまざまな無理難題も含めた地域要求を聞いてもらうために、もしくは聞いてもらってきたので、行政の下請的な仕事もおこなっているし、行政が住民に協力を求めた場合は、積極的に協力してきた。──これがかつらぎ町の姿だったのではなかろうか。
住民との協働=コラボレーションは、こういう住民と行政との関係を大きく変える契機になる。
相互補完的な関係から対等平等の関係に変わり、しかも行政が、住民自治の発現を積極的に組織していき、住民からの提案を尊重するという関係に変われば、持ちつ持たれつという関係は、共同作業へと変化するだろう。
まちづくりに住民の力を発揮してもらうことを考えると、住民が主体的にまちづくりに参加し、知恵と力を発揮するということが不可欠になる。それは、住民がどれだけ主体的にまちづくりに参加するかということでもある。住民が知恵を絞って実現したいと思ったことに自治体が積極的に協力する。──これが住民との協働で実現しなければならない姿だろう。
住民が知恵を絞ってまちづくり計画を立て、その実践をおこなっていくためには、住民の組織が必要になる。木曽町では、住民が出資金を3500万円集め、町が4000万円を出資し、住民による会社が設立された。これがまちづくりの一つの母体になった。この母体は、住民の様々な提案を受けていろいろなことを実現しようとしている。
住民自治が積極的に展開されるようになると、まちづくりは多面的に重層的になってくる。田中町長は、「まだ始まったばかりですが、実にさまざまなことが実行されようとしています」と語っていた。住民自治の発現は、このように豊かなものを生み出していくだろう。
かつらぎ町は、住民との協働を表明し担当職員を地域に配置して、まず住民の要望を聞こうという姿勢で地域に入ろうとしている。
しかし、ただ単に要望を聞くということではうまくいかないような気がしている。
要望を聞くのはいい。大事なのは、「住民といっしょにまちづくりをおこないたい。どのようなまちづくりをすればいいのか、要望や考えを聞かせていただきたい」──こういう話をしないとかつらぎ町の意図が見えないだろう。
住民からの要望を聞く際、住みよいまちづくりをめざすかつらぎ町の基本方針は、鮮明にすべきだろう。
まちづくりの基本は、(1)少子高齢化・過疎化対策、(2)農業とそれと連携した観光等を軸とする地域経済の活性化だろう。この2つの分野への努力は、構造改革で苦しんでいる中山間地の地方自治体の共通のものだという気がしている。もちろん、産業の違いがあれば、軸足は、農業ではなく工業になったり商業になったりするだろう。
スローガン的でもいいから、これらの方向を鮮明にし、いっしょにまちづくりをおこなうために、意見を聞くようにしなければ、相互補完的な住民側と行政側の今までの関係を変えるようにはならない。
住民との協働とは何か。
住民自治とは何か。
団体自治とは何か。
住民自治を信頼して、行政がふところ深くそれをうけいれることができるかどうか。
これらのテーマは、住民との運動の中で深めていくべきテーマだろう。
行政側に主格があった戦後の歴史の中で、住民の協働を考えると、住民が変わる以上に行政が変わることこそが求められている。財政権を握っている行政が、住民からの提案を喜んで受け入れ、まちづくりをおこなっていく姿は、地方自治体の戦後の歴史の大きな見直しを求めている。
団体自治の柔軟な変化は、新しい地方自治の姿を生み出していく。


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Posted by 東芝 弘明