『卒業写真』

雑感

sotugyo

高校を卒業して、1年経たないうちに兄貴を説得して和歌山市に引っ越ししたのは秋だったと思う。それから以降4年間は、和歌山市民として生活していた。二人で借りたアパートは和歌山大学経済学部のすぐ裏の和歌山市高松にあった。ぼくはよくアパートから塀を乗り越えて大学に通っていた。歩いて1分もかからなかった。

いつの頃からか分からないが、心に住み着いた曲の一つにユーミンの『卒業写真』がある。この曲を聴くと、和歌山市内の道ばたにあった柳の木が揺れているのが浮かんできて、片思いだった彼女のことが蘇ってくる。
高校の『卒業写真』を開くと、同じクラスだった彼女はぼくの横に一人隔てて並んでいる。男子と女子に分けられているのに、この並び方は嬉しかった。ショートカットの彼女と比べるとぼくの髪の方が長かった。

教室のある校舎に入る通路のすぐ横の1階に3年D組の教室があった。同じクラスになったのに、彼女とはほとんど話ができなかった。2年生の秋に思いを告白し、ゆるやかな交流があった後、年明けの2月に入院していた母が亡くなった。
3月になって彼女宛に手紙を書いたが、彼女からは返事が返ってこなかった。手紙には、母が2月に亡くなったことを書き、その時の自分の気持ちを書いた。大人になって彼女自身に話を聞くと、返事を書こうとしたけれど書けなかったと言った。高校生の女の子にとっては手紙の内容が重たかったのだろう。でも、当時、そういう事情は全く知らなかった。

卒業式の日は、寒いどんよりと曇った天気だった。空一面薄い灰色に塗られたような感じで、雲の流れは見えなかった。卒業式が終わり、クラスに戻って担任の先生とのお別れのホームルームが終わってから、黒板の前に立っていた彼女に歩み寄った。ドキドキしつつも素直な気持ちにもなっていた。大学はどこに行くのかを聞き握手を求めると、彼女は手袋を外した。白い手が綺麗だった。彼女は、ぼくに背を向けて少し泣いた。握手をしてさよならを言ったのが、片思いだった恋の一つの区切りだった。

和歌山市内に出て、1975年リリースのユーミンの『卒業写真』をどこかで聞き、この歌が片思いを蘇らせる曲になった。

20歳になる前に1度だけ年賀状を出したことがある。思いがけず年賀状に対して手紙が返ってきた。綺麗な字だった。この手紙に対して返事を書いたのかどうか、記憶が曖昧になっている。彼女は友だちのことについて書いていた。この手紙が、片思いの最後の出来事だった。

歌は、その曲を聴いたときのことや心に沁みたものが思い出となっていく。ある絵の展示販売会で心惹かれたリトグラフの版画を見たときに、横に立った販売係の男の人が、「絵というものは、今まで生きてきた人生と絵が共鳴して心に響くのだと思います」という意味のことを言った。
歌は絵以上に具体的に歌詞とメロディーを通じて心に響いてくる。その時々の時代のシーンを切り取って、思い出の中に形を残す。
多分に感傷的な歌が好きだったり、ぼくの文章に湿り気があるのは、母の死以降の寂しさに原因があるように思っている。結婚するまで、次第に一人で暮らしていることに孤独感が増してきて、30歳になる頃には、人恋しさにとらえられていた。その余韻が、好む歌に色濃く残っている。

閑話休題
もう少し思い出の残る曲についての話を書きたいと思っている。しかし、作家というのは因果な人々だと思う。正直に思いのたけを書いていくとパンドラの箱を開くように色々なものが出てくる。生活人である人々は、他人には語れない思いを胸の中に折りたたんで生きている。色々なものを引っ張り出して語っていくと、よく知っている人たちは、驚いたり呆れたりするだろう。そういうことを語らないのが大人なのかも知れない。
過去の話の中には、書けるものと書けないものがある。こうやって書いているということは、書ける話だということ。思い出として綺麗に結晶化している。物事を綺麗に記憶する機能は脳の働きにも左右されている。


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雑感

Posted by 東芝 弘明