自民党憲法草案 2005年11月3日(木)

雑感

憲法公布59年。この年の10月28日に自由民主党は、結党以来初めて新憲法草案を発表した。この憲法草案が発表されると、日本最大の新聞である読売新聞は、自民党の草案と日本国憲法の対照表を、紙面3ページをさいて掲載した。
自民党の憲法草案の最大の改正点は、憲法第9条である。9条2項を削除して自衛軍をもつ条項に変え、2項に2・3・4を加えた。
9条2項以降は次のとおりである。

(自衛軍)
 第九条の二 我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保するため、内閣総理大臣を最高指揮権者とする自衛軍を保持する。
 2 自衛軍は、前項の規定による任務を遂行するための活動を行うにつき、法律の定めるところにより、国会の承認その他の統制に服する。
 3 自衛軍は、第一項の規定による任務を遂行するための活動のほか、法律の定めるところにより、国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行われる活動及び緊急事態における公の秩序を維持し、又は国民の生命若しくは自由を守るための活動を行うことができる。
 4 前二項に定めるもののほか、自衛軍の組織及び統制に関する事項は、法律で定める。


現行の日本国憲法の9条2項は次のとおりである。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


イラク戦争への対応を思い出していただきたい。
小泉総理は、アメリカ軍とイギリス軍が先制攻撃をおこないイラクの空爆をはじめたとき、この戦争は、国連決議にもとづくものだと主張した。
しかし、イラク戦争を容認する国連決議は存在しない。この戦争は、国連決議のない、多国籍軍による、イラクの主権を武力で踏みにじる侵略戦争だった。小泉総理のいう国連決議は、この攻撃を容認するようなものではなく、日本の解釈は国際的にはまったく通用しないものだった。
いつの時代でも侵略戦争は、「正義の戦争だ」と主張しておこなわれてきた。とくに近代の戦争は、国際社会の成熟とともに大義名分が重要になってきた。大義名分がない場合は、相手側が攻撃をしかけてきたという事件をでっち上げることさえした。
柳条湖事件(関東軍が満州鉄道を爆破し、それを中国軍の行為だとでっち上げた事件)、トンキン湾事件(1964年8月4日、北ベトナムが攻撃して来るという情報にもとづきアメリカが全面的に北ベトナムを爆撃、ベトナム戦争が本格化した)などは、侵略する側が、戦争を拡大するために事件をでっち上げた例だ。
日本は、第2次世界大戦にいたる戦争を自存自衛の戦争だと呼んだ。大東亜共栄圏は、アジアに平和共存の秩序の確立をというスローガンだった。
現行の9条2項は、侵略戦争を正義の戦争だと描き、攻撃をしかけることを完全に禁止する条項になっている。戦力を持たず、交戦権を認めないという条項は、9条1項の「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」という規定は、2項によって完全に守られることになる。
イラクに行った自衛隊は、アメリカの要請による事実上の海外派兵だった。しかし、自衛隊は、武力を行使する戦争には参加できない。このハードルは絶対に越えられない。これは9条2項があるからに他ならない。
9条2項を書き換えて、自衛軍をもつことができるようになり、自民党案にある「3 自衛軍は、第一項の規定による任務を遂行するための活動のほか、法律の定めるところにより、国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行われる活動及び緊急事態における公の秩序を維持し、又は国民の生命若しくは自由を守るための活動を行うことができる。」という明文があれば、自衛隊は、イラク戦争に全面的に参加できるようになる。
小泉総理は、イラク戦争を「国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行われる活動及び緊急事態における公の秩序を維持し、又は国民の生命若しくは自由を守るための活動」だと解釈しているからだ。
いま、在日米軍は、在日米軍再編に関する「中間報告」を作成し、在日米軍の再編成に乗り出している。この再編強化によって、自衛隊は、今まで以上にアメリカ軍の軍事戦略に組み込まれ、アメリカによる先制攻撃にともなって海外派兵し、アメリカによる軍事占領にまで協力・支援することになる。この流れは、自民党の憲法改正を実現することによって初めて「ほんまもん」になる。
自民党の新憲法草案は、日本国憲法前文を全面的に書き換えた。この書き換えによって、日本国憲法制定の基本精神は、完全に捨て去られてしまった。破棄された文言は次のとおり。

「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものてあつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。」


日本国憲法は、国民主権によって国家権力をしばるという考え方にもとづくものである。
国会は、主権者国民の厳粛な信託によって成り立ち、国民のために国家権力が存在することを鮮明にしているのは、戦前の日本が、国民主権にもとづかず、国家が国民の生命財産を踏みにじって、政府の行為によって戦争をおこない、日本国民と諸国民を言語に絶する苦しみに陥れた教訓にしっかり立ったものだった。
「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。」
この文言は極めて奥が深い歴史の教訓である。
自民党の新憲法草案は、政府の行為によって再び戦争に参加するために、この前文を書き換えようとしている可能性が濃い。
アメリカの先制攻撃に荷担することを念頭に置いた憲法草案は、どうしても国民の権利の問題について、制限を設ける必要性を痛感しているようだ。12条を見てみよう。

〔自民党新憲法草案〕
第十二条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、保持しなければならない。国民は、これを濫用してはならないのであって、自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚しつつ、常に公益及び公の秩序に反しないように自由を享受し、権利を行使する責務を負う。


〔日本国憲法〕
第12条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。


アンダーラインの部分を注意して読んでいただきたい。自民党の憲法草案は、「自由及び権利には責任及び義務が伴うといい、公益及び公の秩序に反しないよう自由を享受し、権利を行使する責務を負う」となっている。
公益=国家の利益、公の秩序=国の法律である。
有事法制は、現行憲法下でもすでに私権の制限を設けている。この憲法ができたら、国民の自由及び権利は、「常に」、「公益および公の秩序に反しないように」制限を受けることになる。戦争に日本が協力・荷担したときに、戦争反対という運動は、「公益及び公の秩序」に反する運動になりかねない。言論も表現の自由も、思想信条の自由も、行動も新憲法の12条は制限を加えることに道を開ける規定になっている。
現行憲法は、国民の自由及び権利を国民の不断の努力によって保持することを求めている。12条では、権利と義務は対になっていない。ぼくにはこれが重要だと思われる。
すべての国民の権利は、等しく存在するのであって、自分に権利があるように他者にも同じ権利があるという立場に立っている。そこに存在するのは相互尊重だろう。だからこそ、「国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。」となる。公共の福祉という考え方は、権利の相互尊重から導き出された重要な観点なのではなかろうか。
自民党の憲法草案がいう義務の本質は、国家に対する義務であって、社会に対する義務という意味は薄い。法治国家の場合、条文主義が原則なのだから、憲法案がいう「公益」も「公の秩序」も法律に規定されたものだろう。この12条の立場に立つのは国民の責務にまでされてしまうので、この12条は、実現したら恐怖の条文の根拠法になりかねない。
長くなりすぎたので、この辺で今日はおしまいにする。21条の「通信の秘密は、これを侵してはならない。」という規定が削除されたのも不気味だ。
まだまだ、論じる点が多いと思う。
もし、最後まで読んでくださった方がいたら、
深謝、深謝。


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雑感

Posted by 東芝 弘明