『ヨイトマケの唄』

雑感

18歳の時に和歌山市の高松のアパートで『ヨイトマケの唄』を聴いた。カセットテープから流れていた声は高石ともやの『ファースト・コンサート 関西フォークの出発』(1967年4月28日大阪毎日ホール)だった。この歌に出会ったのも初めてだったし、高石ともやの曲をまとめて聴いたのもこのカセットが初めてだった。
コンサートが開かれたのは1967年だったけれど、このコンサートがレコード化されたのは1978年だったので、発売されて間もないLPをカセットに入れて聴いていたことになる。兄貴が持っていたテープを聴くことができたのは、少しの間のことだった。

『ヨイトマケの唄』が三輪明宏さんの歌だと知ったのは、ずっと後のことだ。紅白歌合戦で聴いたのは2012年12月31日。それまでぼくにとって、『ヨイトマケの唄』は、高石ともやさんの歌だった。
ライブで高石さんは、『浪曲子守歌』や『ベトナムの空』、『シャボン玉』などを歌っている。反戦と社会改革への指向が率直に語られたこれらの歌を11年が経ったときにレコード化して世に出したということは、基本的な思いは高石ともやさんの中では変わっていなかったのかも知れない。同じ時期の他のレコードの曲を見ると、生き方の幅が広がったように感じる。

ぼくは、18歳になってすぐに日本共産党に入り、活動を始めていた。1978年という時期は、ニセ左翼的な学生運動がかなり下火になって、社会的な影響力を失いつつあるような時期であり、文化的にも歌声喫茶なども次第に失われつつあるような時期だった。ぼくは、日本共産党のまわりに空気のように存在した「文化」的なものには少し違和感があった。そういう文化に夢中にならなかった世代と夢中になった世代との差をなんとなく感じていたのかも知れない。そういうブームが去った後で日本共産党に入り、青年・学生運動に参加したので、音楽におけるフォークソングのブームも、レコードやテープの中に発見するというものだった。

それでも、この高石ともやさんの『ファースト・コンサート 関西フォークの出発』の語りや曲には心惹かれたし、新鮮さを感じた。新鮮さは、社会のことを真っ直ぐにとらえて歌にしている力にあった。
ぼくはこの歌に父の姿を重ねていた。
この歌は育ててくれた母への賛歌だが、同時に土方として働く人への賛歌だった。高石ともやさんは、1960年代後半は、全国を歌い歩き、工事現場に設置された飯場も歩き回って、労働者の前で『山谷ブルース』や『浪曲子守歌』、『俺らの空は鉄板だ』歌っていたのだという。『浪曲子守歌』は「演歌を歌ってくれ」という人々の要求に応えて練習して歌った歌だと語っている。

1960年代のフォークソングの歌い手が、未来にどのような希望や夢、社会を描いていたのかは知らない。海外の誰に影響を受けて日本にそれを伝えていたのかも、ほとんどよく分からない。
ただ、歌が「訴える」ということと深くつながっているという点でいえば、政治や社会のことを真っ直ぐに歌うことが、歌の一つの大きなテーマだというのは、間違いがないことだと思う。人間や社会や自然のありとあらゆることが、歌になって表現されていいのだけれど、その中には当然のこととして政治や社会のことも一つの場所を占めると思われる。でも、日本では、ある時期からこういう歌がほとんど影をひそめた。沈黙しているといってもいい。60年代フォークに新鮮さがあるのは、歌われなくなったテーマがそこにあるからだろう。

テレビドラマの中には、労働組合が一つも出てこない。会社のことを描いて、会社の非合理さを描いたとしても、労働組合の存在がない。もちろん政党を描いても、ほとんど対立している野党の本当の姿も描かれない。皆無ではないけれど(描いたのは山崎豊子さんぐらいかな)、政治や社会の本当の対立がどこにあって、人々は何によって苦しみ、何に希望を見いだして生きているのか。テレビドラマでは、そういうことは、ほとんど描かれない。テレビドラマは、社会に対する映し鏡のようなものになっていない。それが人々に与えている影響も多いだろう。

政治的な無関心は、人々に最も影響を与える歌から政治を抜き去ることによって、生み出されてきたという側面がある。歌によって政治のことを語り、政治的批判が文学的な力をもって、人々の心をとらえるような社会になっていれば、日本社会は、もっと自由に政治や経済のことを語り合うような社会になったのだと思う。1970年代から以降の日本の文化のあり方が、政治を生活から切り離す役割を果たしたことを思わざるをえない。

ぼくでさえそうだ。思い出のある曲のことを書いていくと、政治的なテーマから離れて行く。書くことに政治の話が入ってこない。人々の心に沁みる歌が、政治と離れることによって、歌と政治が結びつかなくなっている。
1960年代のフォークの隆盛が、70年代初めの若者のたたかいを支えたのであれば、2010年代の現代はどうだろう。若者が政治的に立ち上がり始めているこの時代。自然な形で新しい歌が生まれてくる時代に入りつつあるのかも知れない。暮らしの中で自由に政治が語られる新しい時代が、始まろうとしているのかも知れない。
もっともっと大きなたたかいが生まれてくれば、この暮らしを巻き込んだ運動は、新しい文学や新しい音楽、新しい美術などを生み出していく母体になる。歌が新しい「訴え」を身につけて人々の前に姿を現す。戦争法を止める新しい力の一翼は、歌と詩が担って欲しい。結集している人々から多くの人々の心に伝わる歌が生まれることを願っている。


にほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログ 和歌山県情報へにほんブログ村 政治ブログへにほんブログ村 哲学・思想ブログ 哲学へにほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログへブログランキング・にほんブログ村へ

雑感

Posted by 東芝 弘明