事実にもとづいて考える
53歳になった。Facebookには、たくさんのお祝いコメントが寄せられた。すべての人にお礼をしようと思って返事を返している。少しでも気持ちが伝われば嬉しい。
最近、物事の考え方について、具体的な事実にもとづいて考えることを大事にしようと思いはじめている。年齢を重ねて行くと経験が蓄積していく。この経験というものはものすごく大事なもので、大きな力をもつ。しかし、同時に自分の経験の範囲で物事を考え、評価するという傾向が生まれてくる。こういう考え方には危険が伴う。
経験は、人を一段高いところに立たせてくれる。それは階段を登ることに似ている。一歩一歩登っていくことで新たな視界が開ける。物事を俯瞰できるようになる。でも忘れてならないのは、その視界は、登った階段の側から見えているという視界だ。当然見えていない景色がある。
人の認識はいつも狭い。物事に対する考え方や認識を深めるためには、その物事を具体的に把握しながら深く考えていくことが大切だ。自分の経験やそれまでの自分の認識だけで物事を判断すると大きな間違いを犯す。この危険性を念頭に置いておくことはものすごく大事だろう。
最近、こんな意見に出会った。
「若いときに年金も払わないで、好き勝手に生きて、年いったら生活ができなくなったからといって生活保護を受けるのはおかしい」
この意見に、ぼくは大きな違和感を感じた。
「その人の人生を短絡すれば、そういうことになるかも知れないけれど、具体的な状況を把握すれば、あなたの言っているような事例はないと言えます。事態はもっと深刻です。物事を考えるときには、具体的事実に触れて具体的に考えないと大きな間違いを犯します」
ぼくは、こんな風な話をした。
生活保護を受けるようになった人を何人も知っている。貧困の中で苦しんでいて、最後の手段として生活保護を申請した人たちだった。それらの方々とつき合ってみると、多くの人は、生きる姿勢を崩していた。生活保護を受給するというのは、崩れている人間の再生につき合うことを意味する。人間性の崩れは、ものすごく長い時間をかけて形成されてきたものだった。現在に至る長いプロセスがある。それを再生させて人間を信頼するまでに至るには、これもまた長い時間がかかると思われる。関わった人間にできることは、その人を信頼して一緒に歩くことだと思う。
テレビドラマのように、誰かに意見を言われてハッとして立ち直っていくというような劇的なことはおこらない。指摘によって再生するような人は、人間性が崩れている訳ではない。壊れていくのに時間がかかった分、再生するのにも時間がかかる。身についた弱さを克服できるかどうか。なかなか難しいことでもある。
ぼくは、何度も失敗した。
時には理不尽な要求をはねのけたことがある。それで信頼されなくなったケースがいくつかある。お願いを断るときの断り方がまずいような気がしている。要求には理不尽なことがある。どうしてもそのことに手を貸せないケースがある。その時にどういう態度を取ればいいのか。それこそ、具体的なケースワークを受けないと前に進めない。
あるとき、一生懸命仕送りしてきた長男に「さらに仕送りせよ」と求める親子がいた。長男から手紙が届いていて、「もうこれ以上仕送りできない」ことが切々と書かれていた。ぼくはその手紙を読んで泣きそうな気持ちになった。その横でその親子は、「ひどい長男だ。こんな手紙をよこして」と言って長男をなじり、このひどい長男に仕送りするよう「電話してくれ」と言った。
ぼくはそれを断った。親子はぼくをなじり、それきり関係が壊れてしまった。
荷物のことが気になっている80歳を過ぎたおじいちゃんが、荷物を見に行きたいといった。この少し前に一緒に荷物を確認に行った。認知症が進んでいるので、見に行ったことをすっかり忘れて「どうしても荷物が見たい」と言った。荷物を見たら執着心が高まって、またまわりを困らせるようになることが見えていたので、ぼくはこの申し出をきっぱり断った。
「今回はいっしょに行くことはできません。見に行けません」
それ以降、おじいちゃんからの連絡がなくなった。
関係を切った訳ではない。それぞれの申し出を断っただけで働きかけがあれば、さらにつき合う気持ちでいる。でもおそらく、ぼくの取った態度は間違っていたのだと思う。断り方が相手の信頼を失うようなものだったのだ。
虐待する親に関わっている町職員がいる。その親に拒否されたら子どもを守れなくなるので、どうやって関係を継続するのかをものすごく大事に考えている。ケースワークの研修にも何度も行っている。
ぼくもそういう研修を受けるべきなんだろうなと思いはじめている。具体的な事実にもとづいて、具体的に物事を考えてきた中で培われてきた対応の精神。これをぼくも学びたいと思いはじめている。
53歳という年齢は、肉体的には下り坂を駆け下りているということなのかも知れない。筋肉が固まっていくように、努力しなければ思考も固まっていくように思う。年齢を重ねるたびに柔軟になるには、たえず自分のものの見方考え方を事実にもとづいて発展させるという柔軟性が必要だろう。そのためには経験の有用性と経験の限界性を自覚して、物事を深く学ぶということが大切になる。
53歳の誕生日にこういうことを書いた。それを覚えておきたい。
今日、もう一つ誓ったのは、迷ったら「一歩前に進む」方を選択するように努力しようということだ。今年はそうして前進したい。
遅くなりましたが、お誕生日おめでとうございます。
過日、和歌山医療生協50周年のイベントで、生の山田洋二監督の講演を聞くことができました。
故渥美清さんの寅さんへの想いのお話とか、尊敬するチャップリンの映画「独裁者」のお話とか・・・。
一問一答の時間に、お子さんんたちから歯痛を訴えられても、生活が苦しくて痛みの酷い子だけしか歯医者に連れていけない、というお母さんの悩みに、寅さんならどのように答えますか?と。
監督はずいぶん長い間をおいて、寅次郎は人並みの能力のない人間ですから何も出来ないでしょうね・・・、ただ、このお母さんの心に寄り添うことは出来ると思います、寅次郎が出来るのはそれだけでしょうね、と。
山田洋次さんの話は、過去に2回聞いたことがあります。高校の組合が主任手当てをプールにして、それを財源に山田洋次さんを2回紀北によんだことがありました。
一度目は橋本市民会館、2度目は打田町のホール田園?でした。
橋本市のお話は、山田洋次さんが映画「学校」を作る前であり、シナリオ作成に苦しんでいる頃だった。ぼくがまだ20代後半の頃だった。25年ほど前だったと記憶しています。
山田監督は背の高い人ですね。いま、上映中の「東京家族」観たいですね。