怪獣とウルトラマン

雑感

ウルトラマン

ウルトラマンが一人でかつらぎ町のイベントにやって来て、舞台の上でポーズをとった。でもどうも様にならない。町を壊す怪獣がいて、それをとめるウルトラマンがいる。これでウルトラマンというお話しが成り立ってくる。怪獣が全くいなかったら、ウルトラマンはすることがなくなってしまう。
人生の中で、ときにライバルのような、たたかいの相手のようなものが目の前に立ちはだかり、ウルトラマンと怪獣のような関係になって、たたかうことが人生の中で大きな比重を占め、そこに情熱を燃やすようなことになることがある。
相手は、議員であれば首長だったり、夫婦であれば夫や妻だったり、職場であれば上司や部下だったりする。上司からパワハラを受けていたら相手との関係が、物事の全てになるほど多くの比重を占める。

立ちはだかるものが大きければ、大きいほど立ち向かう側もそれと向きあって全力を尽くす必要が出てくる。平和を守るという点でいえば、安倍政権が国民にとっては、ものすごく大きな壁であり、安倍政権を倒さないと平和がやってこないというような関係になる。
しかし、立ちはだかる敵のような存在を打ち倒すことが目標や目的などではない。ウルトラマンと怪獣のたたかいと同じように、相手を打ち倒すことを目標にしたら、怪獣である「敵」がいなくなったら、実はウルトラマンも必要なくなる。
どのような日本をつくるのか、というのが目標になれば、怪獣のように見える「敵」が打ち倒されても、そのたたかいは目的実現の通過点になる。
住民運動でも産廃の反対運動などは、カウンターのようなたたかいになる。産廃計画が阻止されたら目標が達成されるので、運動は潮が引いたように消えて、穏やかな日常にもどる。大きな教訓が残るのだけれど、次第にその教訓も忘れられて行く。怪獣がいなくなったらウルトラマンも必要なくなり、やがて何も残らない。

運動やたたかいの目標をどこにおくべきなのか。これは運動の担い手が見据えるべき大事なものになる。日本共産党でいえば、資本主義に変わるよりよい未来を建設するところに目標があるので、安倍政権を打ち倒して実現する連合政権は、通過点になる。
戦争法廃止と集団的自衛権行使容認の閣議決定の撤回を実現したら、日本国憲法を軸とした国づくりの展望が見えてくる。今の運動の中で見えてきた一つの光は、個人の尊厳を守る社会の実現に近づくということだろう。ただし、この個人の尊厳を守る社会、自由な社会への展望が、どのような具体的形になって、国民の目の前に立ち現れてくるのか、ということは誰も知らない。安倍政権を打ち倒して実現する平和を土台にした後に展望される未来の姿と、未来社会に向かう運動が、安倍政権打倒以上に重要な目標になる。安倍政権打倒が目標や目的なのではないということだ。

産廃運動なども、運動の過程の中でよりよい地域づくりの課題が見えてくる。運動によっては、産廃運動がきっかけになって、新しい地域づくりへと発展した例がある。住民が団結して地域を守った運動から地域づくりの運動への発展という道をたどった地域には未来がある。かつらぎ町でいえば、天野の地域おこしの運動が、そういうものだといえるかも知れない。
運動には波がある。住民が生み出した運動は、下火になって消えてなくなったように見えても、新しい課題が見いだされたらもう一度運動が起こるということもある。住民の中に生まれてきたものは、地下水のように目には見えなくても、流れ続け表舞台に湧き出してくることもある。

安倍政権のもとで生まれてきた国民の運動は、単なる政権打倒というカウンター的な運動ではなくて、どういう社会をつくるのかという未来につながる運動になる可能性がある。日本共産党は、国民の運動を支えるために力になりたいと願っている。どのようにして国民の願いや運動に応えて、貢献すべきなのか。ここに考えるべき重要な点がある。

運動の目標をどこに設定すべきなのか。野球選手のイチローがすごいなと思うのは、この人は野球が好きで1日でも長く野球を続けたい、自分の能力に挑戦したいというところに目標があるように見えるところにある。「記録は自分にとっては単なる通過点」、こういう言葉を語っていたような印象がある。
よりよい地域をつくる。活力あるかつらぎ町をつくる。こういう目標はいい。終わりがない。実現した成果が次の変化の土台になる。


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雑感

Posted by 東芝 弘明