政党助成金と党名の変更
ある場所で、共産党も政党助成金を受け取るべきだという意見が出た。理由は党の運営がしんどいからだという。他の政党が受け取っているから、受け取るべきだということだった。驚きつつも議論になった。
日本共産党は、政党助成金というのは、日本の政治を劣化させる元凶になっているという理解だ。結局、政党助成金があれば、国民に依拠して活動することが弱まり、徹底的に国民に依拠しなくなる。国会議員が5人いれば、助成金が受け取れるので、政党が離合集散を繰り返し、名前が変わる原因にもなっている。国民一人当たり250円の税金が、政党の議員数によって配分されるので、そんな政党に入れたつもりがないのににわかにできた政党にお金が渡ったり、小選挙区制や一人区という仕組みの元で、議席を確保できた多数の政党に国民の税金が集中するという形になる。
この制度は、企業・団体献金を禁止するので政党助成金を導入するといううたい文句で始まった。しかし、企業・団体献金は廃止されず、政党助成金も受け取ることができるという形になった。この制度によって、議席の多い政党の活動が有利になり、選挙戦での大量宣伝の原資になったり、同時に政党のお金の使い方の悪しき原資になってきた。広島の河合元法相夫妻の買収事件の原資として使われた疑惑があり、真相の解明がなされていない。
腐敗の温床になってきた政党助成金の廃止法案を日本共産党は提出している。こういう経過を見た上で、政党助成金のことを論じるべきだろう。腐敗の温床になっているこの制度を廃止しないと、政治のゆがみはなくならないと思うが、どうだろうか。
日本共産党は党名を変えるべきだという意見もでた。理由は、Communismの語源から出てくる意味は、共同ということであって、共産ではないからということだった。明治時代にCommunist Partyを誰かが共同ではなく共産と訳したところから出発している。今年の7月で日本共産党ができてから100年。日本共産党は、共同党ではなく共産党として活動してきた。
同ではなく産の字を訳としてあてた理由について、ぼくはよく分からないが、社会主義の仕組みの根本を考えると、産もいいなと個人的には思っている。生産手段の社会化によって、共同で生産物を生産し、社会的生産と社会による取得を実現するというところに社会主義の基本がある。巨大な生産力を社会の手に移し、社会の手で管理することによって、自由と民主主義をさらに発展させる、個人の財産も豊かに発展するというのが、社会主義の原点だ。
この基本点からすれば、共同で生産するという意味にとれる共産党というのもなかなかいい。産は産業の産。ぼくは共産党の名前を日本語として紹介するときには、そう言っている。もちろん言葉の語源としては、共同という意味だ。CommunistはCommunityと同じ語源をもつということだ。この言葉の言語とともに日本語の意味としては「産業の産です」もありだと思っている。
議論の中で、日本共産党に対する党名の変更を求める中心は、日本共産党の基本路線の変更にあるという指摘があった。ここに党名変更を求める目的があるというのは、党名変更の議論の中心命題だろう。日本共産党のどこが気に入らないのかといえば、アメリカの支配と日本の財界大企業の支配を打ち破って、国民主権を求めていること、この民主主義革命の先に社会主義を展望していることが気に入らないということだ。言っていること、やっていることが気に入らないので、その変更を求め党名の変更を求めているということだろう。
しかし、なかなか有意義な意見交換になった。



