不破哲三さんの本に対する川上則道さんの批判的検討

雑感,本の紹介

『空想から科学へ』の中にあるエンゲルスの資本主義の基本矛盾の規定に対し、不破哲三さんが長い研究の末に、この規定に異議を唱え見直しを行った。見直しのほぼ最終的な論理の組み立ては、不破哲三さんの『古典教室第2巻 第3課 エンゲルス『空想から科学へ』』で詳しく展開されている。この本が刊行されたのは2013年10月だった。これに対して、川上則道氏(2017年当時は都留文科大学名誉教授)が、『『空想から科学へ』と資本主義の基本矛盾 ─難読箇所をどう読むか─』(以下『難読箇所をどう読むか』)という本を2017年10月に刊行し、批判的検討を行っている。
最近、こういう本が出ていることを初めて知ったので、この本を購入して、紹介した二つの本を読み比べている。

ぼくは学者でもないし、研究者でもないので以下に書くことは、ぼくの不十分な認識によるものであり、おそらく検討に値しないようなものだとお断りしておく(研究者が読んだら笑われるかも)。
感想は、一言で言うと「面白い」ということだ。川上さんは有名な経済学者で『高齢化社会は本当に危機か』(共著)を1989年に刊行し、野呂栄太郎賞を受賞した経歴をお持ちの方だ。『難読箇所をどう読むか』の論理の組み立ては極めて厳密だ。さすが、経済学者だと思うような記述になっている。
エンゲルスの資本主義の根本矛盾規定「社会的生産と資本主義取得の矛盾」は、一つの企業の中の生産が社会的になっていることと生産物(商品)の取得が私的所有(資本による所有を資本主義的取得と表記している)になっており、ここに根本的な矛盾があるというものである。川上さんは、社会的生産というのは、個々の企業内の生産のことを指しており、社会全体の生産を意味しないということを『空想から科学へ』のエンゲルスのテキストから厳密に把握している。社会的生産を社会全体の生産として捉えると、社会全体の労働が結合されて商品が生産されていることが視野に入ってくる。しかし社会全体の結合された生産の中には、個人が生産した商品も多く含まれる。社会的生産をこういう形で捉えてしまうと、資本主義的取得との関係がよく分からなくなる。個人や他人が生産した商品まで、資本主義的取得の関係にないのは明らかだからだ。川上さんのこの把握は極めて正しいと思われ、不破さんの把握の仕方の中には、社会全体の生産力という把握があり、ここは違うという指摘には納得させられた。

これは不破さんだけの誤読なのかといえばそうではない。川上さんは、多くの方々が書いた本とこの規定の説明の仕方を紹介し、エンゲルスの『空想から科学へ』の難読箇所として社会的生産について論を展開している。不破さんの捉え方を多くの人が採用し、説明してきた歴史がある。これに対して、川上さんは、「社会的生産」の規定を正確に理解してきた方々の論も紹介して、エンゲルスの『空想から科学へ』を正確に読むことを説いている。この緻密さが面白かった。

川上さんは、『難読箇所をどう読むか』の中で、資本家は、労働力商品と原料を購入し、生産手段(土地や工場、機械)を活用して商品を生産するということなので、商品の取得形態が資本の側(私的所有)になるのは当たり前だという認識を示している。これは卓見だと思った。非常に分かりやすい。「社会的生産」を一つの企業の中の集団的な生産として捉えれば、社会的生産と資本主義的取得との矛盾は、一つのものの中の相反する二つの傾向ということになる。つまりは一つのものの中にある対立物の統一という把握になる。
川上さんは、労働力商品の購入と商品生産という関係が、社会的生産と資本主義的取得の矛盾には当然内包されているので、搾取形態も内包されていると把握している。この把握の仕方も正しいと思われる。ただ、搾取形態を内包しているからというだけで、資本主義の根本矛盾を把握した規定になっているのかどうかといえば、ぼくには疑問が出てきた。どうして、エンゲルスはさらに踏み込んで社会的生産と資本主義的取得が矛盾をはらんでいるのかを、搾取の秘密の暴露、つまり剰余価値の生産によって説明すべきだったのではないかという感想をもった。

エンゲルスの「社会的生産と資本主義的取得の矛盾」という命題は、史的唯物論の命題である生産力と生産関係の矛盾の具体化という側面がある。しかし、読みながらこの命題から導き出されたように読める「社会的生産と資本主義的取得の矛盾」を資本主義の根本矛盾に据えていいのだろうか、という疑問をもった。それは図式主義的ではないかという疑問だ。史的唯物論は、具体的な歴史的事実を分析する「導きの糸」であって、史的唯物論の命題から具体的社会の命題を導き出す場合は、かなり慎重にならなければならない。史的唯物論の命題に合致しているから正しいというのは、論証にはならない。
不破さんは、エンゲルスの定式化(実は3つの規定がある)に疑問を呈し、その上に立って、マルクスは資本主義の基本矛盾をどうとらえたのかという展開をおこない、資本主義の根本矛盾の捉え方をマルクスにそって再確認している。マルクスの資本主義の基本矛盾の捉え方の方が、エンゲルスの規定よりも深い感じがする。
資本主義的搾取が、一体何を生み出していくのかを深く把握することが、資本主義の基本矛盾を深く把握することに直結するというのが、不破さんの認識だったと思うし、ここが重要ではないかというのが、ぼくの感想だった。

真剣な批判的検討は新しい視野を開く。不破さんの研究を批判的に研究する人は少ない。でも川上さんの研究があって、科学的社会主義の認識がより深く発展する。だれか専門的な知識をもった人が、このお二人の論考を精査して、第3の本が書かれることを期待したい。開かれた体系としての科学的社会主義の発展のために。

今日書いたことは、エンゲルスの『空想から科学へ』を読んだことのない人にとっては、ちんぷんかんぷんだと思われる。blogに書いたことに対して、反応してくれる方がいれば嬉しい。


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Posted by 東芝 弘明