Oさんのお通夜に

出来事

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元役場の課長だったOさんのお通夜に参列した。駐車場に入ろうとすると満杯状態だったので前2台の車から右折するのを止められた。会場の少し先に第2駐車場がある。そこに車を置くことができた。参列者は、会場一杯になりつつあった。
席に案内されて座っていると、お通夜の開式のアナウンスが流れ、享年77歳という紹介があった。
役場を退職してもう16年になるのか。ぼくが議員となりOさんが課長だった時代は10年だったのか、ということが頭に浮かんできた。
旧笠田町の元役場の建物を見せてもらうのに2人で、建物の中に入って話を聞いた時のことが思い出された。2人きりの建物の中で、はじめて個人的な話をしたという記憶がある。
ぼくが子どもの頃、Oさんはすでに役場の職員で新城に出張したときは、学校のストーブの上でシイタケを焼いてY校長先生と一緒に食べたという話をしてくれたこともあった。ぼくはその当時小学校3年か4年だった。
「お母さんの後によくくっついていたよ」
その時はそう言われた。

笠田駅前のぼくの家が、同級生のたまり場になっていた頃、
「あの頃は、妙寺にももう一軒同じような家があって、いっつも話をしとったんや」
こういう話も教えてもらった。
背の低い小柄な人だったが、目の大きい、眼光の鋭い、肝っ玉のすわった人だった。男気のある人だった。
溝端町長とのいろいろな議論の中で、町長に意見を言い続けた人だった。
本会議場で、総合文化会館に人はいらないと豪語していた溝端さんの答弁の後、Oさんに「職員配置は必要ではないですか」と質問すると、
「職員配置は必要です」
町長と全く意見の違う答弁が返ってきた。この時のOさんの答弁によって、職員配置が実現した。

焼香をすませて、会場の外に出ると、オレンジ色の外灯に照らされた会場の外にも参拝の方々が列を作っていた。Oさんの人に対する接し方が、人の心に届いていて、参拝客が多いと思われた。人の心に温かいものを残してくれる人だった。

ご冥福をお祈りします。


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出来事

Posted by 東芝 弘明