200年単位で物事を考える

出来事

本棚に宮井さんからもらったちくまプリマー新書の『考える方法』を読んだ。この本は、「中学生からの大学講義」の第2巻だった。この本が面白かったので、5冊あるシリーズの1巻と3巻、4巻を購入した。この本の次に読み始めたのは『何のために「学ぶ」のか』(第1巻)だ。
『考える方法』で一番印象に残ったのは、管敬次郎さんの「アメリカ・インディアンは何を考えてきたか」という文章だった。
商品経済が発達していない社会においては、その種族が生きている環境や動物との関係が極めて重要になる。食肉にもするし、毛皮も活用するための動物に対し、インディアンは、その動物を神だと崇め、敬意を払い、自分たちの生存が環境と動物、植物によって成り立っていることを痛感する。こういう環境や動植物との濃密な関係は、商品経済の発展によって壊されていく。お金を出すことによって、食物も衣服も燃料も何もかも手に入る。しかもそれらの商品は、歴史とともに安くなる。商品経済は、人間の生活の隙間という隙間に侵食してきて、人間と物、人間と環境のあり方を根本的に変えていく。
環境や動植物によって、人間が生かされていることを自覚しているインディアンは、環境のことを200年単位で考える。そういう長いスパンで物事を見ているという話が、管さんの文章には書かれていた。200年単位で物事を考えれば、日本における原発というのは論外になる。地震は200年単位で考えると頻繁に発生している。地震列島日本に原発を数多く設置するのは、自殺行為だ。使用済み核燃料の問題にしても、200年というスパンで物事を考えれば、処理不可能なとんでもない代物だということが見えてくる。

では、自分は200年単位にものを考えることができるかどうか。
この問いを深める必要がありそうだ。

本日午後9時20数分に熊本県益城町を中心に震度7を記録する地震が起こった。夜中にかかわらず対応が急ピッチで行われている。しかし、被害が広がり火災も発生している。建物の倒壊によって下敷きになっている事態も徐々に把握されつつある。余震が頻繁に続いている。縦揺れだったという証言も出ている。心配だ。


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出来事

Posted by 東芝 弘明