長いスパンでものを考える

雑感

日本の物の見方考え方は、どうしても産業界の影響を受ける。多くの大企業は、3か月単位に決算を打ち、業績の善し悪しを判断している。こういう視点でものを考えはじめると、どうしても目先の利益の追求に視野が囚われる。なかなか目には見えないが、こういう企業のあり方が、社会全体に与えている影響は大きい。自治体にもPDCAをとか、教育にもPDCAをとかいうような視点が入ってきて、小さなサイクルでしか物事を考えられなくなっている。
現実の世界の循環は、もっと複雑に絡まり合って動いている。短時間で繰り返されるサイクルのあれば、ものすごく長いスパンで動いているサイクルもある。人間の意識の外に存在している環境というものは、すべて自然及び社会ということになる。自然や社会から与えられているものに対して、その変化を受け入れられるような余裕がなければ、意識の外に存在しているさまざまな循環を感じ取ることはできないだろう。
商品経済社会というのは、流通の発達によって世界市場を緊密に結びつけて紙上を非常に小さいものにし、季節の変化などを感じさせなくしてしまった。年がら年中スーパーに存在する夏野菜や冬野菜。東西南北関係なしに入ってくる世界の食品。コンビニ弁当の中に入っているおかずやお米が、オリンピック状態にあることは、そのことをよく物語っている。

こういう社会の中にいて、長期的な視点で物事を見るためには、何が必要かを漠然と考えながら本を読んでいた。
今読んでいる本の一つに『日本国憲法の誕生』という本がある。小関さんという大学教授が丹念に事実を踏まえながら憲法成立の過程を解き明かそうとした本だ。圧倒的に知らないことが多い。この本を読めば、「押しつけ憲法」という論議が、全く事実に沿わないものであることが見えてくる。「押しつけ憲法」というのは、憲法を改正したい勢力の政治的プロパガンダに近い。
この本には、日本の民間の憲法研究学者たちが、憲法制定に向けて私案を発表する経過が書かれている。この研究が、GHQに大きな影響を与えていたのは間違いない。GHQに提案したこれらの人々の憲法改正案は、日本の自由民権運動を受け継ぐという認識の下で作成されたものだった。
自由民権運動は1874年の「民撰議院設立建白書」を1つの画期として始まった運動だった。戦後の民間の憲法研究は72年前の自由民権運動を踏まえて憲法の基本はこうだという考え方を明らかにしたというのは驚きだった。これらの人々は、かなり長いスパンでものを考えるという視点を持っていた。自由民権運動や諸外国の憲法の積極面を取り入れて作られた案は、近代の人類の歴史を踏まえようとしたといえるだろう。

物事を見る視点の長さは、過去に遡って歴史の流れを見る中から培われるのではないだろうか。これが本を読んで感じた1つの視点だった。憲法は70年も立ったから古いという意見があるのだけれど、時間が経ったから古いというのではなく、憲法に書かれている諸規定が古くなっているかどうかが大切だろう。戦後2年経って制定された日本国憲法は、古いどころか今も新しいというのが本当のところではないだろうか。それは、人類の価値ある歴史を踏まえ、第2次世界大戦の終結、日本帝国主義の敗北、アメリカによる全面占領というあの時代を踏まえて作られたものであり、日本国憲法には、人類の価値あるものと平和を希求する未来への希望が歌い込まれている。それは、現在の社会の中に置いてもやはり、未来の理想を体現していると思われる。過去に遡って多面的な研究の成果を踏まえることによって、未来に向かう新しい憲法が誕生した。「温故知新」。こういう作業を通じて物事に対する視野の長い視点が生み出されてくる。そう感じる。


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雑感

Posted by 東芝 弘明