対立ではなく連帯を

雑感

 米国で警察による黒人男性の射殺や、警察を狙った事件が相次ぐなか、バスケットボールのスーパースター、マイケル・ジョーダンさん(53)が25日、「もはや沈黙を続けることはできない」と懸念を表明する声明を発表した。
 「有色の人たちが公平な扱いを受けることと、警察官が尊敬され、支持されることの双方が実現されなければならない」。声明は、人種とスポーツに関連したウェブサイト「ジ・アンディフィーテッド」を通じて発表。地域と警察の関係構築を目指して設立された団体と、全米有色人地位向上協会(NAACP)の弁護基金の双方に、それぞれ100万ドル(約1億円)の寄付をすると明らかにした。
 リーグ優勝を6度経験するなど、NBA史上最高の選手とされるジョーダンさんは今でも高い人気を誇るが、社会的な発言をすることは珍しい。声明では、1993年に自身の父親を殺人事件で失ったことに触れ、「私もその痛みをあまりによく知っており、愛する人を亡くした家族とともに悲しむ」と言及。そのうえで「我々を分断させる言葉や、人種間の対立が悪化しているように見えることを悲しみ、不満に思っている。この国はよりいい場所だと知っている」と訴えた。(フィラデルフィア=中井大助)朝日新聞デジタル 7月26日(火)11時55分配信

排外主義が全世界的にも横行するような感じになって来たので、なぜ排外主義が起こるのかを考えはじめていると、マイケル・ジョーダン氏のこの記事が目にとまった。この人の態度は素晴らしい。警官による黒人男性の射殺事件は記憶に新しい。対立を煽るかのような傾向が強まっているときに、警官も黒人もという態度を示し、連帯こそ大切だというメッセージを送る。

ヒットラーはかつて、ユダヤ人を排斥する極端な排外主義を推進するときにこう語ったと言われている。
「われわれはユダヤ人を発明すべきである。単に抽象的なものでない、手に触れて確かめることのできる敵を持つことが大切なのだ」
「ドイツにナチス、イタリアにファシストが台頭するうえで大きな役割を果たしたのは、中産階級から没落した新たな貧困者たちだった。」という指摘もある。日本のネトウヨと呼ばれる人や在特会の人たちが、どのような集まりなのかは、研究もなされている。

まだまだ結論づけることはできないが、今日における排外主義は、新自由主義が推し進めてきた資本への蓄積を進めるための政策である株式資本主義への移行と金融資本の再編、規制緩和による市場の拡大と企業間競争の激化、労働法制の破壊と社会保障の削減、その結果としての格差と貧困の拡大などを土壌として生まれてきたものだと思っている。
格差と貧困の拡大は、資本の側への富の蓄積と国民の側への貧困の蓄積という結果として起こったものだ。この矛盾に満ちた状況から国民の目をそらすために徹底的に用いられたのが、分断政策だった。若者と高齢者の対立、生活保護バッシング、公務員攻撃、自己責任論などは、新自由主義を支える安全装置になったし、中国や韓国に対する排外主義的な意識の醸成も、矛盾を覆い隠す仕組みの一つだった。

国民は株主という言い方、国民はお客さんだという言い方にも大きな問題がある。この考え方によって、中間層や富裕層は、多額の税金を納めているのに、納めた税金に対する見返りが少ないという意見も散見するようになった。国民は株主でありお客さんだという考え方は、国民主権に基づく税の再配分、民主主義的な社会制度を作り、法の下で国民に対して機会の平等を実現するという原則に対して、疑問を呈し始めている。
資本主義のむき出しの競走は、格差と貧困を増大させるが、それは排外主義を生み出す要因になる。そうやって生み出された排外主義は、国民の目を本当の矛盾からそらし、国家に国民を従わせる道具として役に立つ。「貧困はファシズムの温床になる」という言葉もあるが、新自由主義は、対立を激化させながら排外主義と結びついて国家間の対立さえ引きおこすものなのかも知れない。

対立ではなく人間的連帯を。マイケル・ジョーダン氏のとった態度こそ大切ではないだろうか。


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Posted by 東芝 弘明