言葉は最初から社会的産物だった

雑感

Nさんから「反戦反核文集」に文章を書いてみませんかという要請を受けて、母と父から自分につながる道についてのエッセイを書くことになった。昨年の11月半ばに提出していた原稿に、最近手を入れていただき、何度かキャッチボールをして原稿が完成した。
今までは、自分の感じたことを文章にすれば、簡単に読み手に伝わるだろうという気持ちがあった。書いた文章が、読み手に伝わるかどうかは、あまり気にしていなかった。
今回文章に手を入れていただき、痛切に感じたのは、「言葉は最初から社会的産物だった」という寺沢恒信さんの「意識論」にあった指摘だった。人間の意識の外にある観念という森は、概念を含む言葉によって形成されている社会的産物だというのが寺沢氏の指摘だった。
言葉の意味は、社会的な共通理解によって成り立っている。書いた文章が読み手に伝わるかどうかは、言葉が社会的に通用するかどうかというものに依存している。
共通理解を実現するものとして辞書があり、社会的に共有された言葉についての意味がある。これらの共通理解に支えられて言葉は、「社会的産物」として相手に伝わっていく。

自由な表現というけれど、自分の主観を言葉にして自由に書いても読み手には伝わらない。自由な表現というものは、共通理解という平均台の上で、女性の体操選手が倒立やバランス空中回転などをしても、落下してはならないということに似ている。自由な表現は、平均台の上で、しなやかに流れるように見事に演じるべきものなのだろう。空中回転をしたとしても着地はあくまでも平均台の上でなければならない。自由な表現は、そういうものであってはじめて相手の心に届く。

ぼくの書いた文章は、幾つものか所で平均台から転落していたらしい。そういうところを指摘していただいた。添削を受けながら現代詩を書いていた頃のことも思い出していた。添削は、一文一文、言葉を選んで書いていた頃の作業にも似ていた。
ぼくは、私という言葉をできるだけ書かないように心がけて文章を書いたので、最初の一文からは私という主語を省いていた。直しはいきなりそこから始まった。自分という存在が、そんなに知れ渡っていない中にあっては、自分の名前を明らかにした後は、私を除いてもいいだろうというのは、どうも違うようだ。
「北の山と南の山の間に貴志川が流れる谷間のような新城という地域が故郷だった」
という書き出しは、
「私の故郷は、北の山と南の山の間に貴志川が流れる新城という地域だった」
という形に改めた。

「言葉は社会的産物」
この意識を持って文章を書くようにしたい。


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雑感

Posted by 東芝 弘明