議員同士のフリートーク

雑感

議会事務局長と委員会審議のあり方について話をした。雑談のようなものだ。この話し合いが委員会の今後の議論の仕方だというものではない。

6月会議の委員会審議では、議員同士の議論という形になった。ただし、結論から書くと議論は深まらなかった。
今回の集団的自衛権行使反対の請願と安全保障法案の廃案を求める請願について、意見の対立は明らかだった。議論は平行線のままで、テーマごとの論点は深まらなかった。通常の人間関係の中でも、意見が真っ二つに分かれているときは、意見を交わして認識を深めるのは、ものすごく苦手ではないだろうか。すぐに互いに感情的になって、言い合うような状況になったり、互いの意見を主張し合って一歩も歩み寄らないことが、ものすごく多いのではないだろうか。
議会というのは、はじめから意見の違いや対立が内包されている。このような状況下で、どうすれば、冷静にお互いの論点を出し合ったり、共通点を確認し、認識を深めることができるだろうか。

局長と話をしていると、当局との質疑、答弁の話がでた。
町長や課長は、どんなに嫌な質問、答えにくい質問にも、向きあって答弁する。もちろん逃げを打つような答弁がでてくることもあるが、頭ごなしに質問をはねつけたり、答弁を拒んだりはできない仕組みになっている。それは、”質問を受けたら答弁しなければならない”というルールがあるからだ。議会の質疑は、一般の会議のように議員が意見を出し、町長が意見を出し、課長が意見を出して認識を深めるというようなものではなく、議員による質問、町長や課長による答弁という形をとっている。したがって、議員の発言は、すべて質問形式を採っている。質問に対する回答という形の積み重ねによって、会議が進んでいく。議会というものは、質問する側と答弁する側に明確に分かれて会議を行っていくという、普通の会議とは全く違う形式になっている。
どうして、このような形なのか。それはぼくもよく分からない。しかし、この形式のいい所は、意見が対立していても、質問の積み重ねによって、問題点が明らかになるところにある。質問と答弁の積み重ねによって、議案の本質が浮き彫りになってくる。

議会改革の中で、議員による相互討論や意見交換によって、政策立案をおこなっていこうという問題意識がある。議会は、質問する側が議員で答弁する側が行政当局という形なので、この形式の中には、議員相互のフリートークのような意見交換の場がない。議員が議員に対し質疑を行うのは、議員が議案の提出を行うときと、委員会に付託された議案の結果を本会議に報告するときのみだ。この2つのケースのみ、議員に対する議員による質疑が行われる。議員による「討論」というものがあるが、こっちの方は、質疑が終わった後で行われる賛成討論と反対討論のことであり、通常の会議で行われているような意見交換を意味しない。「討論」は、議案に対する態度決定をおこなう際の最後の行為で、賛成者と反対者に分かれて自己の心情を互いに論理立てて述べるというものだ。

議員同士による意見交換、つまりフリートークを行うためには、議会の中に新しい討議の仕方を仕組みとして持ち込む必要がある。重要なのは2つ。1つは相手の意見をきちんと聞くこと、もう一つは、相手の発言に対して質疑を行えるということだ。
議員の発言に対し、質疑がでてきた場合には、発言した議員が誠実に質疑に答える。こういう形を採用すれば、議論が深まる。フリートークなので、質疑をしていた議員が感想を述べたり、意見を言ったりすることもできる。もちろん答弁をしていた議員が、逆に質疑をして相手に答弁してもらうようにもできる。委員長は、本会議における議長の役割とは少し違う性格をもたせる。委員長は、質疑がでたら、きちんと相手に答えさせるという役割を果たせばいい。
相手の人格攻撃や人格に対する批判は行わないというルールも必要になるが、こちらのルールは、議会の中には古くから存在する。一定の時間意見交換が行われたら論点整理をすれば、さらに討議を深めることができるようにも思う。この方法を試してみる価値はあるのではないだろうか。


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雑感

Posted by 東芝 弘明