苦しみの元凶はどこにあるのか

雑感,出来事

訪問して対話していると、いろいろなことが浮かんでくる。前回の選挙の時から4年経った今の住民の生活は、4年前よりも厳しくなっている。この現実を町長の位置にある人間は、深く知る必要がある。おそらく町民の生活実態を深く知らないなかで、町政運営が行われている。
かつらぎ町が行っている各種アンケートは、町民の意識の動向を把握するものではあるが、それは実際の生活実態を把握する出発に過ぎない。アンケートの意識動向を的確に把握するためには、町民との深い対話が必要になる。アンケート調査では埋まらない溝を町民との対話で埋める必要がある。

1920年代。かつて山本宣治という方は、産児制限運動を唱えながら農村地帯を歩きまわり、話し合いを重ねていた。この人の努力は、次第になにものをも恐れない姿勢を生み出した。
「『卑怯者、さらば去れ、われらは赤旗守る』であります。山宣一人孤塁を守る。だが私は寂しくない。背後には大衆が支持している」
これが山宣と呼ばれた労農党の国会議員の最後の演説になった。治安維持法の改悪に対し最後まで戦い抜いた国会議員は、旅館で右翼の刃にて殺された。
山宣を支えた不屈の精神は、丹念に農村地帯を歩いて、対話してきたことによって培われたのだと思う。
山宣の不屈の精神を学ぼうというのではない。山宣が行ったように町民と深く対話をして、住民の生活実態を深く把握しようということだ。この中から生まれてくる住民本位の精神を大切にしようということだ。
「虐げられた者の涙流るる。そを拭う者あらざるなり」
聖書は神による救済を説いたと思うが、キリスト教の信者だった山宣は、現実の政治との格闘への道を選んでたたかったということだった。
歩きながらこういうことを考えていた。

国民の苦しみの元凶はどこにあるのだろうか。このことも考えた。
日本の政治と言うことになると、地方自治体にできることは小さい。国民の生活を根底から支えているのは、労働法制と社会保障だろう。この2つの仕組みは、国の政治の転換なしには変更できない。この地方自治体には変更できない国の仕組みを基礎にして、地方自治体の仕事が成り立っている。自治体にできることは限られている。国の政治の変革とともに地方自治の改善を実現しないと住みよい日本はできない。
安倍内閣の行っている政治が、国民生活を苦しめている元凶になっている。アベノミクスの停止と国民本位の政治への転換が課題になっているが、野党共闘の間には、まだこういう根本的な合意がない。この合意があれば、国民連合政府の実現への展望が開かれる。


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雑感,出来事

Posted by 東芝 弘明