柔軟さと会議の関係

雑感

柔軟さについて考えた。ぼくが会議を主催するときは、どれだけ参加者の意見をくみ上げて、参加者によって話し合ったことが決まっていくことを大事にしている。自分のやりたい方向を押しつけることはしない。とにかく集団で一緒にテーマになっている課題について考えて、一緒に答えを出すようにしたいと思っている。柔軟さは、自分の思いを貫きたいのか、それともみんなで知恵を出して進みたいのかによって大きく違ってくる。

一参加者で会議に参加する場合と主催の場合は立ち位置が違う。一参加者の場合は意見を述べる。改善提案も行う。主催者によっては、参加者の提案をはじくような運営や、確認したことでも、それが生かされないような運営をする人がいる。参加者の意見をはじく人は、我の強い人で、そういう人が主催する会議は後味が悪い。意見を聞きながらも、主催者が自分の意見を押し通すというような会議は嫌いだ。

会議は、参加者の意見をどう生かすのかというものであり、参加者みんなで知恵を絞って進むべき方向を見いだすためのものだと思っている。ただしこういう会議は、20人程度まで。10人ぐらいの方がいい。大規模になってくるとみんなで一緒に考える会議ではなく、発言する人の発表を聞いて、学ぶという形になってしまう。

会議で確認して進む方向が決まったはずなのに、それが生かされないと驚く。そうなるとあの会議は一体何だったのかということになる。人間は主観が強い。この主観によって自分は受け止めていたと思っていても、主観のバイアスがかかっているので、相手の強調点をくみ取れないことも多い。しかもそうなっていることに対し気がつかない人も多い。

会議の主催者は、会議参加者の誰よりも先に懸案事項(アジェンダ)について、深く考える必要がある。それは、提案は深く全面的にということに関わる。「提案は深く全面的に」、しかし議論は柔軟に。提案したことが否定されてもいい。回り道になったとしても集団で合意したことの方が大事。みんなの脳みそを融合させ、真剣になって進むべき方向が出れば、会議は成功する。

ただし、いい会議になっても、事業が進まないことも多い。それは横たわっている困難が大きいからだ。どうやって突破するか。現状認識が問われてくる。


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雑感

Posted by 東芝 弘明