事実を真っ直ぐに見つめる目

雑感

今の日本政府について、手放しで公的な機関として向き合おうとするのは、間違いだと思う。公文書を改竄し、統計を書き換え、政権党に都合のいいデータを提示するまでに至っている国の在り方を考えてみるべきではないか。ということだ。
日本政府や官僚機構がどうしてこういうことになってしまったのか。原因はある。
一番大きいのは、内閣官房が組織として大きくなり、中心的な官僚の人事を内閣が握るようになったことだろう。内閣総理大臣が人事権を握ることによって、官僚機構が内閣の支配の元に入ったことによって、全ての問題に歯止めがかからなくなった。

政治主導といえば聞こえはいいが、打ち出してくる政策が、行き当たりばったりなのに、辻褄合わせが行われることによって、地方自治体から見て、なんでそうなるの?ということが増えている。18歳以下の子どもに対する給付金という問題にもそれは表れている。急ぐあまりに制度がおかしなことになり、10月以降、離婚したり、何らかの事情で母子家庭になったりすると、給付金が子どもに届かず、子どもを養育していない元夫などのところに振り込まれてしまう問題さえ解決しなかったり、児童手当支給を基準にしたので、扶養者1人の収入に着目することになってしまった。国が示した夫と妻、子ども2人というモデルケースでは、960万円未満の収入でなければ、給付は受けられないということだったが、この収入というのは、養育者(多くは夫)の収入になっている。共働きで夫婦の収入の合算が1000万円を超えていても10万円は給付されるが、夫の収入だけの家庭で1000万円を超えている場合、モデルケースでいえば、給付は受けられない。

こんな問題を全部クリアして給付をすればよかったのに、児童手当支給という現行の制度に乗せれば、迅速な給付ができるとしたことで、多くの矛盾が生まれてしまった。しかも給付の焦点が5万円は現金で、5万円はのちにクーポンでという変なこだわりで綱引きが行われたので、歪みを正せないまま、12月の末まで揺れ動いて、ことが決まっていった。

日本の政府は、熟慮してことを起こすという仕組みを、政治主導のなかで失ってしまった。政治が賢ければいいのだが、十分に熟慮しない、なにせ、コロナ対策では医学的エビデンスに基づかない対策に最大の特徴があるという政治主導なので、いわば、反科学的な勢力に政治が牛耳られているので、日本の政治全体がおかしなことになってしまったということだ。

官僚主導が正しいと言っているのではない。毎日、料亭でお酒を飲んで、いいものを食べて、政治や経済の調整を行っていたのが自民党で、実際の国民に対する政治は、官僚が行っていた。ある時期までそういう政治的な分担が行われていたのに、政治主導の改革の中で、今の体制ができあがった。劣化した自民党と公明党が、政権の意のままに具体的な政治を、かなり動かすようになって、森友学園問題や加計学園問題が発生し、統計の改竄や、文書の廃棄、桜を見る会のような政治の私物化が起こった。こういう政治が、日本の政治全体に蔓延しつつあると考えたほうがいい。

自民党と公明党による政治の時代は終わりつつある。政治の劣化は、政権交代なしには実現しない。日本の政治は、熟慮する政治と熟慮する官僚によって、新しい時代を始めなければならない。それは、戦後組み立てられてきた日本の政治の枠組みに対して、科学の目でメスを入れて、国民主権というものの見方考え方を土台にして、全てを問い直すところから始めなければならない。

野党共闘は、6年間、紆余曲折はあったものの、戦争法反対から出発して自民党的な政治に代わる新しい政治の具体的な合意を積み重ねてきた。ここにこそ、日本の劣化した政治を変える展望がある。多くの人間を結集した運動にこそ未来がある。

このことに、現時点ではまだ同意でくなくても、少なくとも、今の政権党が行っている政治が、国民の権利と利益を守るものではないことを見抜ける目が必要だろう。それが、自分の頭で政治を考えることにつながる。自民党と公明党が打ち出してくる政治や施策が本当に国民本位なのかどうか。それを見抜く尺度となるのは、日本国憲法の民主的な諸規定だと思われる。
歴史は進歩する。人間の人権に対する考え方も、民主的な制度も、民主的な経済運営も、時代とともに価値あるものを集大成しながら発展してきた。その結節点に日本国憲法があった。

こういう歴史観が、今の時代にも有効だと思われる。気候危機に対する国際的な動き、アメリカの戦争に対する先進国からの不同意と非同盟諸国からの断固たる反対、多国籍企業に対する税の面での規制への動き、SDGsの取り組み、ジェンダー平等を求める国際的な流れなど、これらはみんな人間の歴史が、進歩の方向に向かっていることを示している。核兵器禁止条約が核保有国を縛りつつあるのもこの流れの一つだろう。
日本社会も、紆余曲折はあっても歴史を進歩させる方向に動いていく。もちろん、一時的に、といっても30年間や50年間そういう時代への逆行はありうるけれど、進歩への流れは止まらない。こういう対極的な歴史観が必要なのだと思う。そういう目で日本の政治や日本社会をみる必要性を感じる。

政治と国民の間にある矛盾は大きい。一つ一つの出来事が矛盾の根源をあぶりだす。事実に基づいて政治をみると、政治の劣化も、歴史の流れも見えてくる。事実がどうなっているのか。まずはこれを見抜ける力が必要だ。


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雑感

Posted by 東芝 弘明