ごめんなさい
「あのですね、
岩波新書 辰濃和男著『文章の書き方』
の全文を読了したんですが、石垣りんさんのエッセーが出て来なかったんですけど、俺は何か勘違いしておりますかね?」
ショックだった。
人が言った言葉や書いた文章が、鋭く突き刺さることがある。それによって、かなりの時間をさくことになる。
自宅に帰って2階の本棚にある『文章の書き方』を、本の頭の角を手前に傾け、斜めにしてから引き出した。本をめくると所々ページの上の角が折られている。心に残ったところを折っているのだと思いながら、調べてみても石垣りんさんの『花嫁』という短いエッセイの引用はなかった。
記憶ははかないし、他のものと入れ替わる。自分の認識を信じて疑わない自分が犯した誤りだった。
では、一体どの本の新書版に石垣りんさんの『花嫁』は掲載されているのか。このエッセイのもつ静かな力が、人々の心を動かしており、インターネット上にはいくつか全文が引用されている。ただ正確に改行や句読点まで引用されているかは心許ない。でも2度、3度このエッセイを読んでみるとしんみり伝わってくるものがある。膨大な文章読本のような一群の本の中に石垣りんさんの『花嫁』は確かに存在する。自分のもっている文章読本の類いの中にひっそり『花嫁』はある。──それを突き止めたいと思って自宅の本棚を調べてみたが、突き止めることはできなかった。
『花嫁』は「暮しの手帖」1967年秋号に初出されている。石垣りんさんが書いた本の中に『ユーモアの鎖国』というものがあり、この本の中に『花嫁』があり、最近発売された『石垣りん 朝のあかり』というエッセイ集の中にも『花嫁』は掲載されている。石垣りんさんが生まれてから101年目の今年、編まれたエッセイ集は静かに売れている。この本はゆっくり味わいたいと思っている。
ぼくの本のすすめによって読んでくれたwaoさんには申し訳ない気持ちになった。ごめんなさい──という前にこういう形で掲載されていなかったことへのお詫びを書くことにした──こういう書き方にも──ごめんなさいという言葉が重なっていく。
いやいや、とんだお時間を俺のような者に費やしてしまわせ、申し訳ない事です。
本の記憶というものは、あやふやで俺なんかもっと酷いです。資料にあたって書けばいいものを俺は記憶だけで書くものだから、間違いだらけですよ。書いてしまったものは、取り返しがつかず訂正文を書く事になります。まあ、完全な人間はいない訳で(いたら気持ち悪い)東芝さんに謝られると俺は恐縮してしまう訳です。
今後とも本のご紹介宜しくお願い致します。
どの本に石垣りんさんの「結婚」が引用されていたのか、いまだに特定できていないのが悲しい。
「結婚」は、分かりませんが、「花嫁」は、読みましたよ。あの、風呂屋で女の人の背中に回って剃刀を当てて産毛を剃ってやる、という。
確かに東芝さんの言われる通り、ここは群を抜いて素晴らしいですね。剃刀で思い出したですが、志賀直哉に『剃刀』という掌編があるのですが、これは怖いです。石垣りんさんの場合はほのぼのとした哀愁誘う話ですが、志賀直哉の場合は、俺は床屋が怖くなり、暫く床屋では、剃刀を使わせなかったですね。それほど怖かったです。今でも床屋では、主人が剃刀を使う時は緊張しています。
今、100分で名著の『ヘーゲル 精神現象学』を読んでおります。
この様に東芝さんには刺激を受けて読書を楽しんでおりますので、貴重な時間を俺みたいな者に割かないで欲しいというのが率直な気持ちです。蛇足ですが、俺の知り合いの女性にヘビーな読書家がおりまして、その影響で日本三大奇書を注文して読む事になりました。Amazonで注文しました。これを読んだら気違いになるそうです。然しこれを読んだその女性は至って普通で、と言うか普通に見えるだけかもしれませんが、(そこが怖いのですが)到着するのが楽しみですね。
いやあ、読書というものはいいものですね。
ごめんなさい、「花嫁」でした。
でしたか。ぶははははははははは。