山田洋次と藤原審爾

雑感

『新・男はつらいよ』の作品をアマゾンプライムで見続けていると違和感を感じて、もしかしたら山田洋次さんが監督していないのではないか。「たしか監督しなかった作品があったよね」、と思った。寅さんの描き方が、なんだかがさつすぎる。誰が監督したのかウキペディアで確認すると、小林俊一とあった。明らかに山田洋次さんが描く寅さんとは違う。

山田洋次監督が1作目と2作目を作ったあと『男はつらいよ』に復帰するのは第5作目の『望郷篇』からだ。今、『純情篇』を見ているのでこれを見てから『望郷篇』を見ようと思っている。寅さんが映画として始まった時の設定は38歳だった。1969年から1995年まで26年間の長い映画シリーズだと思っていたが、1996年に渥美清さんが亡くなってからすでに22年になろうとしている。もう少しすれば、長かった寅さんシリーズと同じだけ亡くなってから時間が経つことになる。

日が過ぎるのは本当に早い。寅さんの原型には、藤原審爾さんという作家の存在があり、山田洋次さんと藤原審爾さんの関係があったという話も、もう埋もれてしまうだろう。山田洋次監督のデビュー作は、『馬鹿まるだし』だった。この作品の原作は『庭にひともと白木蓮』という藤原審爾さんの短編小説だった。この小説は電子復刻版の『私は、ヒモです』で読むことができる。おそらくこの小説集の中に寅さんの原型である人物の作品がいくつか入っている。短編集を読んだとき、まさに藤原さんの作品の中に寅さんがいると思って、夢中になって読んだ記憶がある。山田洋次監督は、藤原審爾さんが亡くなるまで自分が監督として撮った映画を藤原さんの自宅に持ち込んで映して、批評してもらっていた。このことは、山田洋次さんがエッセイ「師・藤原審爾」で書いている。

ネットには、藤原審爾さんの再評価を望む声が散見される。この人は、晩年、日本共産党を支持する作家として、党が作ったビデオにも出演して、日本共産党への思いを語っていた。「赤旗」や「女性のひろば」、「文化評論」に連載された小説は、当時の日本社会への批評が込められた主張のある小説だった。ぼくの部屋の書斎の本棚には、「文化評論」連載で絶筆となった『まだ愛を知らない』の単行本が手に取れるように並んでいる。


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雑感

Posted by 東芝 弘明