8月15日に思うこと

雑感

66年前の8月15日、日本はポツダム宣言を受け入れて、無条件降伏した。これによって日本が引き起こした戦争が終結し、第2次世界大戦が終わった。
ファシズムの国であった日本とドイツとイタリアは、日独伊防共協定という名の3国軍事同盟を結び、この3国でヨーロッパとアジアの領土分割を行うという野望をもち、侵略戦争を展開した。これに対し、反撃のための連合国が形成され、ソ連の参戦を契機にこの連合国は、反ファシズム統一戦線へと発展した。
日本は、アジアの中で、大規模な侵略戦争を展開した唯一の国だ。
昭和天皇は、絶対主義的天皇制と呼ばれる独裁的で神ががり的な体制のもとで、とてつもない大戦争を引き起こした。この事実を忘れてはならない。
国民は、たった1銭5厘の赤紙で招集された戦争の「犠牲者」だった。しかし、実際の戦争を遂行したという点では、戦争責任を背負っている。戦場で他国の民間人を虐殺した日本の兵士は、やはり戦争責任を背負っている。この戦争の責任を曖昧にすることはできない。
当時の国民は、どのような状態だったのだろう。
国民の信頼を土台にして、天皇政府は、天皇に対する批判を犯罪として取り締まり、その一方で戦争反対の声を国賊として取り締まっていた。
その中で国民は、自由に戦争反対を唱えることはできなかった。
多くの人々は、日本が行っている戦争は正義の戦争であり、日本が勝つことを疑っていなかった。
小学校は、国民学校となり御国のために命を捧げることを最も素晴らしい生き方として教えていた。
その結果、空襲で苦しめられてはいても、戦争は嫌だという空気はあっても、戦争に対する根本的な疑問は、大きな世論にはならなかった。
戦争に反対した人々は、国民のなかでは非国民扱いされ、忌み嫌われるとともに、国民全体がこういう人々を監視し、告発することも少なくなかった。
国民全体を一つの考え方で洗脳するような社会体制が実現していた。
洗脳のような社会体制の中で、この体制の本質を見抜けなかった国民の問題は、決して小さい問題ではない。
なぜ、国民は、第2次世界大戦に至る侵略戦争の本質を見抜けなかったのだろうか。
なぜ国民は、天皇を「現人神」として崇拝し、疑問をもたなかったのだろうか。
物事の本質を見抜けなかった国民の、どこに問題があったのだろう。
この問題を考えることが、これからの日本をつくる確かな力になる。
この問いにに対するぼくの考え方は展開しない。上の問題に対する答は、多角的な討論で明らかにされるべき問題だろう。
今日は、戦後におけるアメリカとアジアの関係、日本とアジアの関係について、書いておきたい。
日本の侵略戦争を打ち倒す上で最大の役割を果たしたのは、アメリカ合衆国だった。
アジアの国々にとって、アメリカ合衆国は、日本帝国主義を打ち破った解放軍だった。アジアにおけるアメリカの地位の高さは、第2次世界大戦で果たした結果として生まれた。アジアにおけるアメリカの信頼の高さは、日本との関係で生まれたものであることを、ほとんどの日本人は自覚していない。
韓国におけるアメリカに対する信頼と忠誠も、第2次世界大戦でアメリカが果たした役割、朝鮮戦争でアメリカが果たした役割を抜きに語れない。
日本は、敗戦国としてアメリカの全面占領を受け入れた。アメリカの占領下で戦争勢力の除去という課題が追及された。結局、この課題は、当時の日本の支配勢力とアメリカとの間で国家主権を売り渡すという形で取引されるようになった。日本の政治勢力と経済的な勢力は、戦争責任の追及を免れ、復活を果たしていく。その過程で政治、軍事、外交、経済の面において対米従属としか呼べないような戦後の体制が形成されていった。
アジアに対するアメリカへの態度は、信頼が基本になったが、日本では、極めて卑屈な従属が基本となった。
果たして、現代日本は、第2次世界大戦の本質を把握した上で、形成されているだろうか。
イラク戦争の時に、あの戦争をアメリカとイギリスによる侵略戦争だと書いたのは、「しんぶん赤旗」だけだった。国際法を踏みにじって、一方的に仕掛けた戦争は、国家主権を真正面から踏みにじるものだった。
しかし、いま、どれだけの国民が、イラク戦争をアメリカとイギリスによる侵略戦争だと理解しているだろうか。
第2次世界大戦の時に国民は、戦争の本質をほとんど見抜けなかったが、このような過ちは、イラク戦争でも繰り返されているのではないだろうか。
8月15日になると宮本百合子の小説──「播州平野」を思い出す。
多くの作家が、天皇の玉音放送を聞き、日本が戦争に負けたことにショックを受け、泣いている。まさにその時に宮本百合子は、玉音放送を次のように聞いている。時代の流れを鮮明にとらえた文章は、今も生きている。

「御飯、どうなさる? 放送をきいてからにしましょうか」
 きょう、正午に重大放送があるから必ず聴くように、と予告されていたのであった。
「それでいいだろう、けさおそかったから。――姉さん、平気かい?」
「わたしは大丈夫だわ」
 伸一が、柱時計を見てラジオのスイッチ係りになった。やがて録音された天皇の声が伝えられて来た。電圧が下っていて、気力に乏しい、文句の難かしいその音声は、いかにも聴きとりにくかった。伸一は、天皇というものの声が珍しくて、よく聴こうとしきりに調節した。一番調子のいいところで、やっと文句がわかる程度である。健吉も、小枝の膝に腰かけておとなしく瞬(まばた)きしている。段々進んで「ポツダム宣言を受諾せざるを得ず」という意味の文句がかすかに聞えた。ひろ子は思わず、縁側よりに居た場所から、ラジオのそばまで、にじりよって行った。耳を圧しつけるようにして聴いた。まわりくどい、すぐに分らないような形式を選んで表現されているが、これは無条件降伏の宣言である。天皇の声が絶えるとすぐ、ひろ子は、
「わかった?」と、弟夫婦を顧みた。
「無条件降伏よ」
 続けて、内閣告諭というのが放送された。そして、それも終った。一人としてものを云うものがない。ややあって一言、行雄があきれはてたように呻いた。
「――おそれいったもんだ」
 そのときになってひろ子は、周囲の寂寞(せきばく)におどろいた。大気は八月の真昼の炎暑に燃え、耕地も山も無限の熱気につつまれている。が、村じゅうは、物音一つしなかった。寂(せき)として声なし。全身に、ひろ子はそれを感じた。八月十五日の正午から午後一時まで、日本じゅうが、森閑として声をのんでいる間に、歴史はその巨大な頁を音なくめくったのであった。東北の小さい田舎町までも、暑さとともに凝固させた深い沈黙は、これ迄ひろ子個人の生活にも苦しかったひどい歴史の悶絶の瞬間でなくて、何であったろう。ひろ子は、身内が顫(ふる)えるようになって来るのを制しかねた。

「歴史はその巨大な頁を音なくめくったのであった。」──こう捉えた宮本百合子のような目をもちたいと思ってきた。
現在進行形の歴史の中で、その時代の本質を読み解く目や力をもつ。そのために多くのことを学び、多くの物事を考えていきたい。
現象に中に厳然と存在している本質を見抜ける目をもちたい。
学び考えること。その先に本質を見抜く目がある。


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雑感

Posted by 東芝 弘明