日本の戦争責任

雑感

日本の戦争責任について、少し調べてみると非常に複雑な問題が横たわっている状況が見えてきた。
この問題につては非常に興味深い。
最高責任者であった天皇は戦争責任を免れた。なぜ戦争責任が追及されなかったのか。この問題は非常に大きいといわざるをえない。
軍部に対する戦争責任が、どのように遂行されたのか。陸海軍は解体されたが、戦争責任の追及はどのように行われたのか。
政治に対する戦争責任はどう追及されたのか。日本共産党以外の政党は、第2次世界大戦に至るときに自ら政党を解散して大政翼賛会に合流した結果、戦後直後は政党としては存在していなかった。当時解散していなかった政党は、獄中で戦っていた日本共産党だけだった。政治家で戦争の責任を追及された人は、どれだけいたのだろう。
官僚に対する戦争責任はどう追及されたのか。
財閥に対する戦争責任の追及はどうだったのか。
半封建的地主制度に対する戦争責任の追及はどうだったのか。
天皇に対する戦争責任が、追求されない中で、戦争に対する責任が徹底的に問われなくなった。一億層懺悔という東久邇宮 稔彦王首相の論理は、戦争責任を追及しないで曖昧にするものだった。日本の戦後には、天皇制の国体を守るという意思が働き、必至でこれを守るためにアメリカ占領軍と取引を行うという流れをたどった。戦争責任の追及は曖昧になり、日本の民主主義的な改革は、途中で流産した。
あれだけの犠牲を払ったにもかかわらず、戦争への反省があいまいになり、戦争を遂行していた勢力が戦後も政治や経済を担うという形をとった。
日本国憲法に結晶したものは、当時の時代の最高の考え方の反映だったが、日本の支配勢力は、この日本国憲法の精神からは大きくかけ離れた勢力だったと言わざるを得ない。
戦後の複雑さは、戦争直後に行われた一連の改革の複雑さによって規定されてきた。
日本の戦争が何であったのかを日清、日露戦争にまで遡って考える必要がある。朝鮮半島に対して行った日韓併合という歴史でさえ、誤りを認めないというのは、かなり深刻だといわなければならない。明治から昭和へ、戦争の昭和から戦後9条にもとづく平和の昭和へ。この歴史を丹念に学んでいく中で、一連の戦争がどういう性格のものであったのか、なぜ戦争責任が追及されなかったのか。戦後形づくられた社会体制とは何だったのかを、見ていきたい。
この作業をおこなえば、恒久平和を唱えた日本国憲法が総批判の対象となり、戦争を行える国につくりかえようとする勢力が政権を握っているという、歴史の流れからすれば異様な事態の謎も解けるに違いない。


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雑感

Posted by 東芝 弘明