真理は党派性を帯びる

雑感

活動の一番根底にある気持ちは、まっとうに生きたいということだけなのかも知れない。日本共産党という政党に出会って、18歳で入党したときに、世の中の汚さにまみれるような生き方はしなくていいんだと思った。ここからぼくの共産党員としての活動は始まった。

この思いをさらに強くしたのは、レーニンの理論の中で、「資本主義の下では真理は党派性を帯びる」というものだった。どの論文のどの文章なのかは忘れた。記憶にない。「党派性を帯びる」という言い方が深いなと思っている。この言葉で思い出すのは原子力発電所のこと。科学者が原発の安全神話の片棒を担いできた。片棒を担ぐ反対側にも科学者がいて、原発の不安定さを、それこそ科学と技術の言葉で語っている。いったいどっちが本当なのかというときに、思い出されるのはレーニンの「真理は党派性を帯びる」という言葉だった。

論理の組み立ての根底には、労働者階級という存在がある。自分の労働力を売ることでしか生きていけない労働者は、搾取をなくして自らを解放しようとするとき、失う物を何も持っていないという言い方をされる。もちろん、家族や恋人の存在はある。しかし、土地や工場や機械などの生産手段を持たない労働者は、たたかいの中で失う資本というものを持っていない。ここに「失う物を何も持たない」という労働者階級の特徴がある。

資本主義社会の下で真理に徹底的に接近するためには、利害関係から自由である必要がある。利害関係から自由なはずの科学者の中にも、利害関係の中で真理から目を背けて、資本家階級に奉仕する人々が出てくる。自然科学でさえがそうであり、社会科学になると資本家階級の側に立った論理というものが、幅をきかすことになる。
資本主義社会の下で徹底的に真理を探究したいのであれば、生産手段を何も持たない、自らを解放するために失う物を何も持っていない労働者階級こそが、より一層真理に接近できるという考え方が導き出される。レーニンは、この状況をふまえて、資本主義の下では真理は党派性を帯びると表現した。

ここから、もう一段、論理を飛躍させたい。
労働者階級が勝利しようと思えば、徹底的に真理に忠実であること、党組織にとっても労働組合にとっても、目先の組織的な利益にも左右されることなく、忠実になるべきは真理である。ここに徹してものを考えたいと思ってきたし、実際にそう考えてきた。したがって組織にとって具合が悪そうなことに対しても、率直に事実を明らかにして、みんなで物事を考える。そして進むべき方向を明らかにすべきという態度を取ってきた。そう考えれば、悩むべきことは何もない。

資本主義の下では真理は党派性を帯びる。ここから導き出される次の命題は、真理こそが拠り所にすべきものであり、真理に忠実に、真理を貫いてこそ、勝利を勝ち取れるということだ。だからこそ、労働者の組織は、いついかなることに対しても、不都合な真実を何も恐れないで、事実関係を明らかにし、誤りを正し、まっすぐに前を向くことが必要ということになる。曖昧にすべき問題は何もない。

ぼくは、いつもそう考えてきた。曖昧にすべき問題など何もないという考えは、実際現実に向き合うときに、役に立ってきたと思っている。


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雑感

Posted by 東芝 弘明