議会は争点を前提とした世界

雑感

地方議会も含め、議会の中には意見の違いがあるので、議会というのは、住民の多様な意識を反映して、争点が存在する公的な機関ということになる。意見の違いによる対立があり、意見が一致しない時もある。これが多様な意見を反映した議会の本来の姿でもある。

意見の違いがあることを前提にして、議会のありのままの姿を住民に示すのが、議会の一つの伝え方だと思う。意見の違いを鮮明にして、その違いを当然の事として住民に伝え、住民自身が多様な考え方をもって、議会の議論を受けとめる。こういう議会の伝え方を工夫する必要がある。意見の違いを明確にし、論点を整理し、住民に提示する中で住民に考えていただく。ここに議会の一つの伝え方があるのではないだろうか。

国会は違う。国会は、答弁がテレビや新聞を通じてリアルに示され、国会議員の発言は、白日の下に晒される。「ビザなし訪問」を主催する「北方四島交流北海道推進委員会」と一緒に国後島を訪問した丸山穂高氏の言説とこれに対する元島民の推進委員会委員長のやり取りがテレビでリアルに伝えられている。国会内での真剣勝負があってこそ、国会外での醜態も明らかになる。国会議員は、暴言のような答弁も含めて、国民の前にリアルな姿を見せている。

しかし、地方自治体になると、一般質問に対する答弁書が事前に用意され、双方が質問の本番でそれをただ読み上げるというようなことが、当たり前のように行われることが多い。国会のリアルな質問とはとはものすごく違う。どうして国会と地方議会でこうも差があるのか。

ただし、かつらぎ町は、予定調和的な一般質問は存在しない。本町の一般質問にはシナリオがない。通告制に基づいて事前にヒアリングが行われても、本番の質問がどうなるのかは誰にも予想できない。かつらぎ町では、真剣勝負の世界が本会議場に存在している。その点では国会と同じことが行われている。

事前調整が完璧に行われている議会と、真剣勝負が行われている議会について、どちらの方法にもメリット、デメリットがあるといういい方が存在する。質問の本番までに要求が実現するのが見えるとか、首長まで質問が届いて、用意周到な検討がなされて答弁が出来上がる。質問準備の段階で当局に質問者の真意が十分に伝わって施策へと結実するので、事前調整でもいいと思っている。こういう意見を聞いたことがあるし、きちんと検討されて答えが出てくるのはメリットだという言い方も聞いたことがある。しかし、住民の目の前でことが決まるのではなしに、自治体という閉じられた組織の中で行われる意思形成は、住民からみればブラックボックスだろう。
ぼくは、真剣勝負の方が住民の要求は実現すると思っている。議員と当局が互いによく準備して、率直に意見交換を住民の見ている目の前で行ってこそ、緊張感が生まれる。議員の質問によって、予定していなかった答弁が出てくることもある。事前調整よりも真剣勝負の方が、変化に富み、成果も生まれる。それはオリンピックの本番とリハーサルの差ではないだろうか。十分な練習の上に立った真剣勝負、こういう形だからこそ、変化が生まれ練習以上の成果が生まれる。
誰が好き好んでシナリオのある試合を手に汗握ってみるだろうか。真剣勝負のはずの試合が、シナリオがあるものだったということがばれたら、八百長だという批判を受ける。議会も真剣勝負の世界であってしかるべきではないだろうか。


事前調整が完璧に行われる一般質問になると、議員の質問は当局の手のひらにのってしまう。釈迦の手のひらで暴れる孫悟空がどんなに勇ましく飛び回っても、釈迦の手のひらから逃れられなかったように、議員の質問はすべて当局にコントロールされ、当局の許容範囲を1ミリも超えない議会になる。質問者は答弁内容を知っているし、答弁者は質問内容を知っている。演劇や映画のように気迫を込めた演技があるのなら、まだ見応えもあるだろうが、演技の力のない議員と当局によって答弁調整を徹底的に行うという議会は、八百長と茶番劇を国民に見せているのではないだろうか。
どうして、当局は議員を追いかけ回して、質問内容を根掘り葉掘り聞き出して、事前に答弁書を作成し「これでいいでしょうか」などということをしているのだろう。本会議場で答弁不能というような状況を作りたくない、格好の悪いことをしたくないということだろうか。こういう議会を住民が傍聴してもしらけるだけではないだろうか。自治体が開いている会議には形骸化している会議が多いけれど、この形骸化は、当局が用意周到に準備する中で生み出しているものではないだろうか。

徹底的な事前調整を行っている議会本会議は、形骸化せざるを得ない。議員が形骸化に手を貸してしまえば議会はどうなるのか。八百長ばかりしていたら実力が低下する。答弁調整議会は、議員も当局も実力を低下させる道にならざるをえないのではないだろうか。
こんなやり方をしている議会は、リアルな議論を広報によって伝えるというようなことにはならない。妙にきれいな報告集が出来上がる。対立が現実には存在しているのに、「議会はきれいにまとまっています」というような議会広報が存在する。こんな広報紙は読んでも面白くない。

かつらぎ町議会は、住民説明会に臨もうとしている。議会の争点を前提にした住民説明会。これをどのように実現するのか。考えて見る必要がある。


にほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログ 和歌山県情報へにほんブログ村 政治ブログへにほんブログ村 哲学・思想ブログ 哲学へにほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログへブログランキング・にほんブログ村へ

雑感

Posted by 東芝 弘明