小野市の広渡廃寺と国宝浄土寺

出来事

佐野寺跡を考える会が、兵庫県小野市の広渡廃寺跡歴史公園と浄土寺を見学するという企画を組んだので参加した。広渡廃寺は、奈良の薬師寺と同じような薬師寺式伽藍と呼ばれる建て物だったとされている。現地は、歴史公園としてその全景が発掘され、整備されていた。建立されたのは、7世紀末ということだから佐野寺とほぼ同じ時期になる(佐野廃寺は670年頃建立)。佐野寺も奈良の薬師寺と同じような配置をしていると言われている。広渡廃寺と佐野寺は、同時代に建てられた寺院ということになる。この時代は、仏教公伝から100数十年が経っていた頃で、まだ日本の仏教が宗派に分かれていない頃のものだ。

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(上の写真2つは、現地に飾られているセラミック製の再現模型 こういうお寺があったのではないかというもの)

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広渡廃寺は、幼稚園や民家、お墓があったものを全て移転して発掘・保存されたものだ。お墓まで移転したという話に、見学した一行は、驚きの声を上げた。住民の熱意が伝わってくる話だった。一行を出迎えてくれたのは、4人の語り部の方々だった。ユーモアと熱意を持って説明する語り部の姿に感銘を受けた。女性は元校長先生だった。

広渡廃寺を見学した後、国宝である浄土寺も見学した。ここは真言宗のお寺になっているが、元々は奈良の東大寺の荘園に建てられた勧進を集めるための拠点として建てられたお寺だった。奈良の東大寺は、1192年の源平合戦の際、消失している。この時消失した東大寺を再建するための、地方の一つの拠点が浄土寺だった。鎌倉時代の800年前の建物である浄土堂の中には、阿弥陀如来及び両脇侍立像(りょうわきじりゅうぞう)が祀られている(阿弥陀如来の両脇に立っているのは向かって左が観音菩薩と右が勢至菩薩)。浄土堂は本瓦葺、宝形造のお堂であり、太い柱から3重になった人間の腕のような形をした構造物が横に伸びる梁を支えている。この梁は、建物の角にある柱から出ている同じく3重に組まれた構造物によって支えられている。

お堂に入る日の光が、金色に輝く阿弥陀如来及び両脇侍立像を照らし建物の朱色に立像が染め上げられることを計算して作られている。このことについて、ウキペディアは次のように書いている。
「浄土堂は境内の西、すなわち極楽浄土の位置する側に建てられ、阿弥陀三尊は東向きに立つ。堂の背後の蔀戸(しとみど、建物の内側または外側へ跳ね上げる形式の戸)を開け放つと背後からの光が入るようになっており、晴れた日の夕刻には堂内全体が朱赤に深く輝くように染まり、雲座の上に位置する三尊像が浮かびあがって来迎の風景を現すという劇的な光の演出効果を備えている。その際、遠方の溜池群が西方の光を運び込む装置として機能することまで、作者重源は巧みに計算していたという意見もある。」

小野市の国宝や広渡廃寺を見ながら、かつらぎ町には、さまざまな国宝や重要文化財、天然記念物がたくさんあることを改めて感じた。観光とは、地域の光を見るという意味がある。地域の歴史的な宝物に保存という名の光を当てて輝かせるのは、人々の努力にかかっている。今日の訪問で印象に残ったのは、語り部の方々の活動だった。保存を促進する努力も人の力なら、保存した後文化財の意味を語り広げるのも人の力だと思う。浄土寺で説明してくださった語り部は、大学の現役教授だった。
話を聞きながら、自分自身もかつらぎ町の語り部になるべきだろうなと感じた。議員として得た情報も活用して保存の努力を語るのも、語り部の仕事になるのではないだろうか。

佐野寺跡を考える会の一行は27人。バスの中では自己紹介や感想が語られた。企画しお世話してくださった役員のみなさんに感謝したい。いい視察だった。


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Posted by 東芝 弘明