Tさんのご冥福をお祈りします

雑感,出来事

元議長のTさんが亡くなられたのでお通夜に参列させていただいた。席に座っていると、いろいろなことが思い出された。ぼくが議員になったときにTさんは、産業課の課長だった。故・溝端康雄町長の時代、1990年(平成2年)、30歳で議員になったときの課長の1人だった。26年前、課長だったTさんは、55歳だったと思われる。ぼくが今56歳だから26年経ってあの当時のTさんの年齢を超えたことになる。
Tさんは、南町長になってしばらくして議員に立候補した。Tさんの役場職員時代の友人だったYさんが議員を引退したのと交代するように議員になったと記憶している。ぼくが議員になって8年が経過していた。
それから12年、Tさんは議員を続け引退する最後の2年間は議長の職にあった。Tさんが引退する間際に行ったのが新設小学校における冷暖房の完備だった。T議長とぼくは、年末に3月議会で冷暖房の予算を新設する学校に導入するよう教育長に要請に行き、3月議会の委員会の中で冷暖房の設備を新設する学校に導入するよう要求した。委員会は、1日を費やして町長と教育委員会に冷暖房設置を求める協議に臨んだ。協議は平行線に終わり、「ここまで来たら予算を修正して議会の意思を明確にするしかない」ということで、ぼくを軸にして予算の修正議案を提出することになった。
「予算修正を行うだけではなくて、議会の意思を示すために付帯決議を付ける必要があると思います」というぼくの提案にも、Tさんは「よし、そうしょうら」と快諾した。新設学校における冷暖房完備は、Tさんの力がなければ実現しなかった。予算修正の議案作成と付帯決議案の作成、修正案の提案説明をぼくが引き受けた。この件に関する一連の記憶は生々しい。
あのとき、かつらぎ町議会は、歴史上初めて議会全員による予算修正を可決した。日本共産党は、予算修正を実現させるために予算案にも賛成した。26年間議員を行って来て、一般会計予算に賛成したのはこれが初めてだった。

Tさんとぼくとの年齢差は25年あると思われる。課長時代と議員の時代を通じて、何かと大切にしていただいた。自宅に招かれてごちそうしていただいたこともあった。保守系の議員としては、赤旗日刊紙をずっと購読してよく読んでくれている方でもあった。犬の好きな方で、朝早く宝来山神社で散歩しているのによく出会ったことも記憶に残っている。政治的立場は違うのに、随分右よりな考え方をお持ちの人でもあったのに、日本共産党町議団が発行しているかつらぎ民報に共感を示してくださり、支援を何度もしていただいた。ぼくたち議員団の活動を気持ちの深いところで理解してくれている人だった。
議員を26年続けていると、若い頃関わっていた職員の方々が次々に亡くなり始めている。通夜や葬儀に参列するたびにいろいろなことが思い出される。議員と課長との関係だった方々とも、さまざまな心の交流があった。多くの方々は、かつらぎ町の発展を願っていた。共産党の議員と課長の方々の気持ちの上での交流には、深いものがあったと思っている。

Tさん、お疲れ様でした。ご冥福をお祈り致します。思い返すといろいろなことが思い出されます。ご指導とご支援、本当にありがとうございました。


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雑感,出来事

Posted by 東芝 弘明