県当局は答弁調整をやめてほしい

出来事

杉山県議の初一般質問を傍聴に行った。初めての質問だったが堂々としていた。ぼくが30歳の時に初めて行った質問とは雲泥の差だった。初めての質問だったのに十分自分の言葉で質問していた。40年間教壇に立ってきたベテランの先生だった杉山さんは、さすがだった。教員の多忙化の原因の一つは、教員の授業時間の長さにあり、これを克服するためには教員増が必要になるという訴えは重要だった。

ただし、県議会の答弁調整には辟易した。質問に対し答弁に立った教育長は、ひたすら原稿を読んで答弁していた。一問一答形式なのに問いに対する答えが、原稿にもとづく答弁だというのにはすごく違和感がある。

かつらぎ町に帰ってきて、3時から国会の党首討論を見た。こちらは原稿なしの真剣勝負。どうして地方自治体になると国会のような真剣勝負にならないのか。徹底的に議員の質問を聞き出して、答弁原稿を作成する県行政というのは、見ていて気持ちが悪い。行政は無謬だ、県民に対して失敗してはならない。行政というのはいつも正しいという発想が地方自治体にはあるという指摘がなされている。答弁調整は、自治体無謬論によって発生しているのかも知れない。しかしこんなお粗末なことはない。どうして、国会のような真剣勝負ができないのか。なぜ執拗に答弁調整を行うのか。その心理を知ってみたい。

数少ない経験だが、裁判の証言台に立ったことがある。証人にたったぼくに対して弁護士が質問し、ぼくがそれに答えるという経験だった。どんなに小さな裁判でも和歌山県議会のような答弁調整はない。もちろん弁護側の証人である場合、弁護士と打ち合わせをして証言台に立つ。しかし、弁護士と証人があらかじめ用意した原稿を互いに読み上げるようなことはしない。そんなことをしていたら、相手の側の弁護士からの生質問に耐えられないだろう。司法で実現している生のやり取りが、どうして地方議会になると異常なほどの答弁調整になるのか。一般質問の通告を行うと県当局は議員に対して根掘り葉掘り聞いてくる。議員が質問原稿を示すと答弁原稿が出来上がってくる。今日の教育長の答弁は、無味乾燥だったし、質問原稿を踏まえて書いたものであれば、論点のかみあわないものだった。用意された答弁の出来は極めて悪かった。議員の質問に対して異論を述べたとしても、論点ぐらいかみ合わせたらどうか、と思った。

かつらぎ町議会は、議員が質問テーマを明らかにし、当局はそれに合わせて答弁を準備する。議員が事前に当局に対して質問原稿を見せることはないし、当局が答弁を見せることもない。それで十分質問は成り立っている。
失敗しないかって?。もちろん失敗することは多々ある。このときにこう切り替えして質問すればよかったと反省することは数多く存在する。この反省が次の質問にも生きてくる。質問は真剣勝負なので議員にもリスクはあるし、当局にもリスクはある。国会のように恥ずかしい姿をさらけ出すこともある。下手な質問と下手な答弁も生まれる。議員の質問の組み立てが下手な場合は、一体何の質問なのかよく分からない迷走質問になることもある。しかし、真剣勝負だからこそ、生々しい変化もおこる。議会が生きる。少なくとも元鳥取県知事の片山義博さんが言った「学芸会と八百長」からは脱却できる。

県当局が、県議会を活性化させ、行政水準を引き上げたいのであれば、ただちに答弁調整はやめるべきだろう。


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Posted by 東芝 弘明