戦争を止める以外に平和を守る道はない

雑感

71回目の終戦記念日。日本は、第2次世界大戦のときにアジア諸国に対して侵略戦争を行い、アジア諸国民2000万人の命を奪い、日本国民310万人の人々の生命が失われた。

WOWOWで塚本晋也監督の「野火」が放映されたので、録画して自宅のテレビで見た。この映画の主演は、監督の塚本晋也さんだった。レイテ島の戦いの中で逃げ惑う日本兵の姿を克明に描いたものだ。戦争を知らないぼくたちは、戦争というものを映画などを通じて「体験」してきた。しかし、そのような「体験」は、いわば戦争物の「アクション」というような感じのものも多かった。しかし、「野火」は、戦争の現実を克明に描くことに徹底的にこだわっているように見えた。
多くの日本兵は、作戦が崩壊した以降は、逃げ惑う中で、飢え、疲労困憊し、さらに敵の圧倒的な攻撃の元で殺されるという道をたどった。南方戦線では、英霊は餓死したものが圧倒的だったという記録があるあるが、「野火」は、それを具体的に描いているように見えた。

「野火」では、飢えた兵士が日本兵を殺害し、その人肉を喰らうシーンが描かれている。人肉を食うのは当たり前の日常だったという。
映画「プラトーン」でオリバー・ストーン監督は、上官である兵士を殺害するシーンを描いたが、この「野火」でも日本人兵が、生き残るために仲間を殺すシーンが描かれている。
私たちの世代は、戦争のもつ本当の姿を知るために、多くの文献から学ぶ必要がある。戦争は勇ましくかっこいいという映画は、戦争の現実を描かず、美化する役割を果たしている。それに対して、かっこよくない戦争映画である「野火」は、いろいろなことを考えさせてくれた。
戦場では、人間がいとも簡単に死んで行く場所だと思う。現在の武器は、人間の手足をいとも簡単に破壊するにちがいない。アクション映画のように不死身のような主人公などは、どこにもいない。

特攻隊は美しくない。人間の命を「爆弾」と同じように武器に見立てて、「飛行機もろとも敵艦に突っ込め」というのは、極めて非人間的な作戦だった。国を守るために若者は命を捧げたとして美化しているが、特攻作戦を成り立たせる根底には、人間を使い捨ての武器としか見なかった非人間性が横たわっている。御国のために命を捧げよという忠君愛国は、人命軽視という思想なしには成り立たない。

戦争へと国民を導くためには、御国のために身を捧げることを美しく描かなければならない。尊い犠牲だったというように描くためには、国家による顕彰が必要になる。戦前の日本は、現人神だった天皇を頂点とする国家だったので、仕掛けは宗教がかっていた。これらの仕掛けの中心には、靖国神社があった。

この神社はどういうものか、靖国神社に語ってもらおう。
「国家のために尊い命を捧げられた人々の御霊を慰め、その事績を永く後世に伝えることを目的に創建された神社です。「靖国」という社号も明治天皇の命名によるもので、「祖国を平安にする」「平和な国家を建設する」という願いが込められています。
靖国神社には現在、幕末の嘉永6年(1853)以降、明治維新、戊辰の役(戦争)、西南の役(戦争)、日清戦争、日露戦争、満洲事変、支那事変、大東亜戦争などの国難に際して、ひたすら「国安かれ」の一念のもと、国を守るために尊い生命を捧げられた246万6千余柱の方々の神霊が、身分や勲功、男女の別なく、すべて祖国に殉じられた尊い神霊(靖国の大神)として斉しくお祀りされています。」

ここには戦争についての反省はひとかけらもない。あのような戦争を繰り返してはならないという反省もない。戦前から全く変わらない歴史観が靖国の中には流れている。日本がアメリカの戦争に参加しようとしている今日、再び公のために命を捧げることを求めるような動きが強まっている。
この流れの中で戦争をくい止めようとする運動が強まっている。この運動にこそ未来がある。第2次世界大戦の時に、戦争に反対した人々は、獄中に捉えられた。しかし、今はまだ戦争に反対できる。戦争に反対できる今、勇気を持って戦争に反対しなければならない。
多くの芸能人が、勇気を振り絞って戦争への道に反対し始めている。若者も戦争反対の運動に立ち上がっている。国民主権が踏みにじられない間に、戦争をくい止める運動が、大きく広がることを願っている。

ぼくは、平和の下でこれからも生きて行きたい。戦争を徹底的に阻止すること以外に平和を守る道はない。


にほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログ 和歌山県情報へにほんブログ村 政治ブログへにほんブログ村 哲学・思想ブログ 哲学へにほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログへブログランキング・にほんブログ村へ

雑感

Posted by 東芝 弘明