笠田中学校の卒業式

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どうも眠たくなってきて、うたた寝をしてしまった。
娘も同じようにうたた寝をしている。
まだ、歯磨きをしていない。
保健の先生からの、2年生にとってはまだ難しいアンケートに自分で答えて、肩が凝ったといって「肩を叩いて」というので、100均で買ったパコパコいう肩叩きで叩いてあげた。
それからしばらくして、眠ってしまった。
金曜日。学校に通っている娘も疲れがピークなのか、それとも10時をまわったので単に眠たいだけなのか。
今日は、笠田中学校の卒業式が行われた。
来賓席の近くに座っていた女の子の中で、1人、ものすごく歌のうまい子がいた。
「仰げば尊し」
卒業生が歌う歌の中にあって、その子の歌がストレートに耳に届く。
集団の声の中にとけ込まないで、粒が立ったような感じで、誰が歌っているのかが分かる声だった。涙を流さず、きりっと歌う澄んだ声が心地よかった。
卒業式は、3年間の思い出がよみがえり、胸の中に思いでの結晶として形になる日なのかも知れない。
ぼくの中学生のときの卒業式は、高校の受験を2日後に控えていたので、晴れやかな涙の中にも一抹の不安が入り交じるものだった。
今年から、笠田高校の受験も1次募集と2次募集に分けられて試験が行われている。卒業生の中には、公立高校の試験に合格した者とまだ試験を受けていない者に別れているようだ。
校長先生の話の中で、福岡と石川に行く卒業生もあることに触れられた。
ぼくたちの同級生は、ほとんどが同じ高校に進学したが、あれから32年たって地元高校進学運動は、まったく姿を消してしまった。中学校の卒業が文字どおり別れであり、新たなスタートとなっている。
さて。
卒業式のさわやかな感想を書いた後で、それに似つかわしくないことを書いてみる。
学校教育と受験競争について。
高校の学区制撤廃。地域の教育が地域の未来を作ることを知らない和歌山県の教育界が、和歌山の地域を破壊している。
相対的な競争をあおって、みんな仲良くというのは、1つの矛盾だろう。
成績競争を子どもたちに押しつけて、差別はいけないというのは、尾崎豊のような感性からいえば、許し難い欺瞞ではなかろうか。
受験競争が破壊しているものは、大人が考えている以上に計り知れないほど大きい。
点数で差をつけて、習熟度別学級編成を競争の中に位置づけているところもある。こういうことをおこないながら、人間が人間を差別してはいけないというのは、ものすごく大きな矛盾だと思う。差別を事細かくおこないながら、差別はいけないというのは、混乱の元凶であるとさえ思う。
成績で子どもを振り分けるのは、差別でも何でもない。差別と受験競争は関係ない。──おそらくこんな反論がされるだろう。しかし、人間にランク分けをして、できる子、できない子に分けて子どもを見て、勉強ができないという評価を何百回、何千回も積み重ねて、これは差別ではないというのだ。
成果主義賃金が教師にも導入されつつある。教師の指導の仕方の出来不出来を賃金で振り分けていく。もし、この成果主義賃金の格差を親につぶさに伝えたら、成績に悪い教師に担任をしてもらいたくないという反応が生まれるだろう。
みんな仲良くという校長先生が、成果主義賃金のルールに従って教師の評価に格差をつける。
このような制度を推進している大人は、複雑な生き物になっているので、みんな仲良くという主張と成果主義にもとづく人間のランク分けは矛盾しないというだろう。
こういう複雑さは、身につけたくない。
こんな評価をつけさせられる校長先生のストレスは大きいのかも知れない。
教師間で評価をし、学校の評価を内外から行われ、たえず世間の厳しい目にさらされている学校現場。まじめに子どもたちに、「競争社会なのでこの競争に打ち勝つように」と励ます教師もいる。こんな環境の中におかれていたら、教師の方々が、子どもたちの人間関係を競争の中において見るようになるのも自然なことだろう。
「がんばれ」
この言葉が、重い脅迫をともなって響く時代になりつつある。これは怖いことかも知れない。
人間の良さをお互いに確認し、お互いに学びあう学校を夢見たい。
自分の身近にいる人のすばらしさに刮目するときがある。この人はすばらしい人だ。この人はすごい人だ、と思う気持ちは人生においてものすごく貴重なことだと思う。
自分のすぐそばにいる人の魅力に感じ入って、自分もそうなりたいという体験は、その人の人生観や生き方を変えるような力をもつ。人間は互いにその人の持つ魅力や良さを感じ取って学びあうことのできる存在なのだと思う。
物事の欠けたものを発見する力は、競争教育の中で多くの人が身につけている。しかし、まわりの物事のより良きことを感じとったり発見できる力は、書けた部分を見抜く力よりも大事なものだと思う。
教育者には、とりわけこの能力が必要だ。この能力があってこそ、その人の力を引き出すことができる。
学びあい、お互いに影響し合う人間関係を教育の中で培っていくこと。
こういう教育への転換は、競争教育から人間信頼への教育への転換になるのだと思う。
子どもたちが、人間信頼の教育のもとで育っていくことを求めたいし望みたい。
学びあうことが、互いを知り合い信頼しあうことに結びついていく教育。
本当は、これが教育の原点なのではなかろうか。


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Posted by 東芝 弘明