桜の花は若者の死を意味していた

出来事

近畿いっせい宣伝の日だったので、久しぶりに街頭演説に一人で行った。最初に車が到着したのは移地域だった。原稿なしに話を組み立てるので、最初はあんまり人口のない山間部にした。トランプ大統領によって、世界の平和が極めて深刻な事態に陥っていることを訴えて、北朝鮮で軍事的緊張が高まっていることを話をして、外交によって平和的な解決をと訴えた。

卒業式のことが思い出された。卒業式は、子どもたちの希望を語る場所になっている。「夢は実現する。努力は人を裏切らない」という主旨のことを書いているお母さんもいた。
こういうことを語れるようになったのは戦後になったからだ。戦前は、お国のために命を捧げることが、最大の教えだった。教育勅語はそのために存在した。国民一人ひとりが、人生に夢を描いて、希望を語ることのできる国。それは平和の下でなければ実現しない。
日本国憲法の根本精神は、憲法13条、個人の尊厳の尊重にある。個人の尊厳の尊重は、恒久平和という土台があってはじめて成り立つ。

戦争する国への道は、憲法13条を根底から破壊する。「平和を守るためにも、国民主権を守るためにも、基本的人権を守るためにも、共謀罪を成立させてはならない」
こういう訴えで演説を締めくくった。

桜の花が散り始めていた。フロントガラスにも花びらが1枚くっついた。車が走ると道路に落ちた花びらが舞い上がる。春らしい景色になった。のどかな春の景色に向かって、戦争への道を止めなければならないという話をしなければならないほど、日本は大変な地点に立っている。桜の花は、70年前まで若い命の散り方を象徴する花だった。
「見事散ります、国のため」
日本の姿を象徴する桜の花を、再び若者の命のはかなさを象徴する花にはしたくない。散華。仏教用語だったこの言葉を、戦死する若者にあてたとき、桜の花は死を象徴する花なった。

街頭で訴えながらこんなことを考えていた。


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Posted by 東芝 弘明