相手を好きになることが大事

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武田双雲さんの話を聞いて、なるほどと思ったことがある。
武田さんは、ストリートに座って書道をはじめたが、最初は1人もお客さんがつかず、何日もただ座っていただけだったのだという。それが、目の前を歩く人々が好きになって、興味を持って見るようになると、次第に声がかかるようになり、お客さんがつき始めたのだという。
人間は、自分が好きだと思っていると、そういう感情は相手に伝わるのだ。相手が好きだという感情は、自分の心に隙間があって、相手を受け入れるような感じがあふれてくるということでもあるだろう。
攻撃的になっている人は、まわりの人々に対し身構えているので、相手の感情を受け入れる余裕がない。
敵意は、相手に敏感に伝わるということでもある。
それは、ほんの少しの違いなのかも知れない。
人間は、相手からさまざまな情報を敏感に受け取っている。微妙な感じは、言葉なしにでも伝わっていく。もちろん、相手から伝わってくる感じは非常に繊細で微妙なものだから、相手にすべてのことが伝わるわけではない。
すべてのことが伝わらないのは、やっかいでもある。そこに人間の複雑さやややこしさがある。
言葉で愛想よくふるまっていても、それが言葉だけのものなのか、素直な感情の現れなのか、何かを感じるのだ。何となく感じるということが、しかし、ものすごく大きい。
言葉とは裏腹の違和感を感じ取る場合もあれば、言葉なしでも好意的な感じを受け取る場合もある。
人間には喜怒哀楽がある。一番いいのは、喜怒哀楽が自然な形であらわれて、それで相手との関係が良好になることだ。
そんなことできるか?という人もいるだろう。
でも、喜怒哀楽を素直に表現しながら、良好な人間関係をつくっていくことはできるように思う。
心底、まわりの人々のことが好きになり、人間との関係をつくっていくことが好きだということが、前提にあれば、喜怒哀楽をあらわして、良好な人間関係をつくれるように思うのだ。
人の弱点を見られる人は多い。しかし、人のいいところを素直に受けとめられる人、感じ取れる人はすばらしい。それは一つの才能かも知れない。人間は多面的な存在だから、いい面も悪い面もたくさんある。しかし、いい面を発見できるものの見方を培っていくことが大事なように思っている。
日本社会は、小さい頃から評価漬けの中で成長していく。点数や成績で評価される中には、減点主義的なものの見方が強い。減点主義は、プリントによるテストがその典型だ。100点満点からミスをすると減点されていく。このシステムは、弱点や欠点をこれでもかこれでもかとすり込んでいくことになる。
小学校から高校まで、試験に次ぐ試験という生活を強いられる生き方は、弱点や欠点を発見する能力を鍛え上げていく生活だといってもいい。
お店に行って、お店側の失敗に対し、手厳しいクレームをする人が多いのは、こういう減点主義の反映なのかも知れない。
モンスターペアレントも同じ傾向なのかも知れない。
相手のいい所を発見できる能力を身につけるためには、最初は努力が必要なのかも知れない。
減点主義から素直にいい所を発見できるように発想を転換することが意識化される必要がある。
難しくいえば、物事を素直に、まずは肯定的に理解するという姿勢を自分の考え方の基本にすえて、物事を見ていけるようになるということだ。
肯定的に見ながら批判的(否定的)に見る。その批判(否定)は発展の契機でもある。頭ごなしの批判(否定)ではなく、発展の契機としての批判。こういうものの見方が、すべての物事に貫かれていけば、いいのだ。
なにくそ、と思う感情よりも、それは素晴らしいと思う感情の方が、人を動かすし事態を変えるのだと思う。不十分さを確認して、その克服をめざすよりも、いい所を発見して、それを伸ばそうと考える方が、何十倍も建設的だ。
大事なのは、無理をして、自分を誤魔化して肯定的にとらえるのではなく、自分の感情の自然な発露として、物事を肯定的にとらえるようになるのがいい。
それは、むつかしくはない。まわりの物事を好きになって興味を持つことから始まる。そこから肯定的な理解は始まる。
そこから出発すれば、やがて肯定的否定(これはぼくがつくった造語)というものの見方もできるようになっていく。


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Posted by 東芝 弘明