脳科学の本を買いました。

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脳科学の本を買った。
脳のさまざまな特徴や病気などについて、見開きで説明している本だ。意識のことや感情のことも少しだけ載っている。
入門の入門といった感じだが、
「大人が買っても、小学生が自由研究の興味で資料的に買っても、とても楽しめる。
まさにこれは脳の図鑑!
オールカラーで明瞭で分かりやすい解説。
それでこの値段はなんとも安すぎる。
カラーでもつるつるしていなくて、パラパラとめくりやすい紙質。」
というレビューがあったので購入した。
この前紹介したほんとは違うものだ。
図解入門 よくわかる最新「脳」の基本としくみ (How‐nual Visual Guide B…/著者不明

¥1,470
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人間の心の動き、意識、感情というなかなかとらえがたいものを理解する方法論として、一番大切なのは、唯物論のものの見方だと思っている。徹底的に唯物論の立場に立つというのは、人間の精神は、物質の高度な働き(脳の助けをかりて人間はものを考える)だということを大胆に認め、これを貫くところにある。この基本的な立場は、観念論的な認識に迷い込まない保障になる。
脳科学の現在の到達点では、心、意識、感情については、分からないことの方が多いらしい。
「科学では解明できない」
という言い方が非常に嫌いである。こういうものの言い方には、①科学が万能であり、解明できていないものはないという思い込みがあるとともに、同時に、②そういう科学では割りきれないものが、全く別に存在しているという、互いに矛盾した傾向を合わせ持っているように見える。
しかし、ぼくは、このようなものの見方に対し、次のように考えている。
「①科学で解明できないものはない。しかし、現在の科学の到達点は、解明できないものの方が多く、成果はまだまだ小さい。同時に、②科学は、次第に物事の真理を解明していくが、最も単純な物質といえども尽くせないだけの豊かさをもっている。人間にとって解明のできない彼岸はない。したがって、人間の認識は、事物がもっている真理にむかって、さまざまな紆余曲折、誤りを含みながら不断に接近していく」
事物は複雑に絡み合っている。科学は、この絡み合った状態から複雑な条件を捨象して、単純な関係を抜き出し、その関係だけを観察できるようにして、因果関係を研究する。そのことによってはじめて、抽出した関係がどのように作用し合っているかが明らかになる。しかし、捨象された複雑な関連は、やがて、研究の対象となり、一枚一枚ベールを重ねるように条件を加味しながら連関が研究されていく。そうやって、人間は、より具体的な、生き生きした現実の中で法則がどのように貫かれているかを見られるようになる。
研究の最初の段階で人間の目に入ってくるのは、対象が複雑に絡まった具体的な姿だ。この具体的な姿を理解するためには、一枚一枚ベールを剥ぐようにして、一番コアだと思われる関係を抽出して、検討する。これは、具体的なものから抽象的なものへの認識の発展であり、ここでおこなわれる抽象は、物質に基礎をおいたものである。こういう抽象は、真理から離れるのではなく、真理への接近にほかならない。
何が一体コアなものなのか。これは簡単に見つけられない。したがって、さまざまな試行錯誤が繰り返される。コアな問題にたどり着けないまま、終わってしまう研究もたくさんある。
具体的な印象から抽象へ、そして一枚一枚ベールを重ねるようにして、もう一度具体的な物事全体に対する認識へ。この研究方法は、徹底的に分析をおこないって、コアな問題に到達するとともに、次の段階では、一歩一歩条件を加味しながらより具体的な姿に接近していくという分析を重ねていくものだ。そうやってたどり着いた具体的な姿は、分析と総合の結果でもある。
コアな問題から階段を一歩一歩登る分析は、同時に総合でもある。
実は、分析よりも総合の方が難しい。
複雑な機械が目の前にあるとする。ネジをはずしていけば、多くの人はその機械を分解できるだろう。しかし、分解はできても、なかなか元通りに組み立てられない。組み立てたと思っても部品がいくつも余ったりするし、一つ一つの部品がどの場所にどう結合しているかが難しい。一つでも接続を間違ったら動かない機械も多い。
コアな問題に到達する努力も大変だが、一歩一歩階段を登りながら分析と総合を繰り返して、真理を明らかにするのも難しい。
こういう研究方法は、下向法と上向法と呼ばれる。
この方法を基本にしながら叙述された書物に「資本論」がある。
科学は、謎解きの連続だ。一つの謎が解けるとさらに大きな謎が立ちはだかってくる。解明は、ろうそくの光に似ている。分からなかった闇がろうそくを灯すと見えてくる。しかし、新たに開けた新しい認識による世界は、新しい謎を見せてくれるのだ。
多くの科学者は、科学万能論には立っていないと思われる。人類の進歩は巨大だったが、この巨大な進歩には全く安住していないだろう。分からないことの方が多い中で、毎日、未知への探究の努力をしている。
「科学で解明できないものがある」
といって、簡単に非合理主義的な立場に陥ってしまうと、まともな研究はできなくなってしまう。
こんなことを言って逃げてはいけない。
物質の複雑な運動を解明するという徹底的な唯物論だけが、非合理主義を排除して真理に分け入っていく道だろう。
人間の人生は短い。しかし、先人の到達点は、次第に努力をすれば学べるようになっていく。現代に生きる人間は、ニュートンやアインシュタインやその後の量子力学の確立に貢献した多くの巨人の肩の上に立って、新たな高みに登っていく。(巨人の肩の上に立って新しい世界を見ようと説明したのは、高田求さんという哲学者です)
ぼくは、せいぜい、最新の科学的な知見をつまみ食いするようなことしかできないが、このような努力の中で科学が進歩していくことを知っておきたいし、少しは見てみたい。


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Posted by 東芝 弘明